スハフ42 車掌室側は
便所側の尾灯を改良したスハフ42,車掌室側も同様にLED化しました。こちらは仕切られていて貫通扉もあるので、特に問題はありません。
経年しているので、破損個所の修理も行いました。軸受には小田急HE車で好結果だったカトーのユニクリーンオイルをさしてみましたが、ちらつきもなく好結果でした。とにかく低速から尾灯が明るくなったのが一番ですね。好結果を得られたので、他の客車も順次この方式に改造します。
仕掛がやまになって、レイアウトがもろに作業台になっています・・・。
便所側の尾灯を改良したスハフ42,車掌室側も同様にLED化しました。こちらは仕切られていて貫通扉もあるので、特に問題はありません。
経年しているので、破損個所の修理も行いました。軸受には小田急HE車で好結果だったカトーのユニクリーンオイルをさしてみましたが、ちらつきもなく好結果でした。とにかく低速から尾灯が明るくなったのが一番ですね。好結果を得られたので、他の客車も順次この方式に改造します。
仕掛がやまになって、レイアウトがもろに作業台になっています・・・。
カツミ+KS混成の103系京浜線の馴らしを行っています。店レイアウトは7両が限界なので、ちょうど良い長さですが、何だか最初に103系が京浜東北線に入った時の事情に似ています。
昭和40年の投入当初は8両編成でしたが、クモハ-モハ+クモハ-モハ-サハ-モハ-モハ-クハという変則編成で後の10両化に際しては、クモハ-モハ-クハ+クモハ-モハ-サハ-サハ-モハ-モハ-クハの3+7の編成になりました。これは当時の下十条電車区と蒲田電車区の検修設備の関係によるものでした。子供心にはっきり覚えているのは、山手線は先頭車にパンタがなく、京浜線にはある、ということでした。当時のブリキのおもちゃの国電は、先頭車でパンタ付でしたから、京浜東北線のクモハは妙に親しめる存在でした。後にATC化される際に、先頭車が空転する恐れのある電動車だと正確な速度検出ができないということで、新製クハを大量に投入して、クモハは中間封じ込め、または他線区に転出して行きました。冷房改造が進んだのもちょうどこの頃でしたから、やはり先頭がクモハの京浜東北は非冷房、ということになります。
さて、この基本7両は消費電流が少なく、スリムで見栄えの良いコアレスモーターを使用して、4M3Tの編成になっています。動力車が複数あることから、時間をかけて馴らします。客車と違って中間部分には伸縮式のエースカプラーを使用していますが、これが引っかかったりすると脱線の原因になりますから、そんなところにも注意します。
編成モノの電車では、機関車や客車とは違ったチェックポイントがあるわけです。
震災で被災したモハ103の代替車体が完成しましたので、基本編成に組み込んで試運転を行いました。
折しも5年前の今日、脳出血で倒れました。この京浜東北線は、単純な形態なので手のリハビリに良いだろうということで、最初は3両編成で終わりにするつもりで始めたものですが、だいぶ手の動きが戻ってきて、店のレイアウトでは7両基本が限界ですが、やはりフル編成で、ということになりました。Nゲージファンの方が、場所がなくてもやはりフル編成で揃えたいという気持ちと同じだと思います。動力装置などは元のものを再用していますから、走行状態に特に問題はありませんでした。もう少し慣らし運転を行えば完全でしょう。
それにしても、あの日は店が終わって、疲れたなと伸びをした時に頭の中にスパークが走って、急に力が抜けました。痛みとかはなかったのですが。おかしいなと思って横になったら最後、起き上がれなくなりました。次の日だったかお客様がみえた時に救急車を呼んでもらって病院へ行ったのですが、救急病院というのは無神経ですね。言葉は大丈夫だったので(というより、その時点ではまさか脳卒中になっていたとは思っていませんでしたが)、必要事項を伝えた後、疲れて居眠りを始めたのですが、無神経な医者は、どこかと連絡を取っているようで、「会わせたい人を呼んできて」とか言っています。要は「俺はもうすぐ死ぬんだな」と思いました。こちらは何が起きたのかわからなかったので、ひとまず病院に着いてほっとしていただけだったのですが。一晩中起き上がろうとして悪戦苦闘していたのですから。(そう簡単に起き上がれるものではない、というのはリハ病院に行ってから知ったわけです)
1か月弱で、山の中のリハビリ病院に移りましたが、その時に救急病院の医者は、杖をつけば歩けるようになりますから、と言ってました。しかし、40代中盤でよぼよぼになるわけには行きません。死に損なった以上、何としても杖や装具を使わないで歩けるようになりたい、仕事に復帰して前と同じように問屋さんを回ったりしたい、という気持ちでいっぱいでした。リハ病院では車いすも自力で漕がなければならないのですが、左手が使えないので、右の車輪だけ回しても前進しません。足で漕ぐにしても右足しか使えませんから、なかなか進んでくれません。何しろある日突然歩けなくなって車椅子になったというのは相当なショックでした。しかし、自力で車椅子を漕ぐところからリハビリが始まるのだと思って、こんな目標を立てました。「1年後には列車で北海道へ行ってカニを食べて来よう」。まあ無理だと言われるのがオチなので、これは口外にしませんでしたが、そのためには?という切り口でリハに取り組みました。結局1年後には、列車で釧路の和商市場に辿りついて、蟹にありつけたわけですが、あの時は本当に感激しました。
倒れて5年経った現状は、自己採点で80点レベルだと思います。ただ、半年経ったらそれ以上は良くならない、というのは完全に嘘だということが分かったので、まだまだ粘ります。この辺まで来ると、残っている課題は難しいものが多いのも確かですが。
この京浜東北の103系も、困難なリハビリや東日本大震災を乗り越えて、5年をかけて今日基本が形になったというのも、何かの縁かもしれません。半年近く入院したわけですが、仮復旧?5年の11月15日には限りなく9割レベルに近づきたいものです。
京浜東北の基本7両の中央に連結されるサハ、2両目の内装を進めます。今は亡きフクシマ製のロングシートと、KSから出ている荷物棚の組み合わせです。ロングシートの通勤電車ですから、省略してもよさそうなものですが、やはり馴染みの電車ということで、省くわけには行きません。照明を入れると思いの外効果的だったりします。
そのために、いつものように各部をそれらしい色に塗り分けます。明かりが点いたときに、これがかなり効きます。
写真に写りにくいのですが、もし車内をベタ1色にしたら、イメージは相当違ってしまうはずです。ちなみに内装の淡緑色はGMの#15、(#34でも良いかも・・・)、座席のモケットはGM#22、蹴込み部分はGM#9を使用しました。
とりあえず編成中の他車とグレードが揃いました。この後は引き続き、地震で被災したモハ103の車体を作り直して、基本編成の完成を目指します。
引き続き京浜東北、2両目のサハの仕上げです。Hゴムに色を差して、窓ガラスを貼ってと、セオリー通りの作業が続きます。昔のカツミの完成品などは、大胆にも1枚の塩ビをべた~っ!と貼っていました。あの時代のモデルはドアはプレスで凹ませただけ、窓枠も車体と一体でしたから、それでも良かったのでしょうけれど、現代のものはそれらのパーツが全部別個になっていますから、窓ガラスもサッシ部、ドア、戸袋と、別々に貼ってやる必要があります。結構手間がかかります。
座席がまだ付いていませんが、だいぶ完成に近づきました。
編成モノの場合、連結した時の統一感が重要ですから、各車の出来栄えにバラツキがないように注意しなければなりません。同じような作業が延々と続くので、ちょっと気が抜けた時が危ないですね。編成モノをカッコよく仕上げるポイントは、案外こんなところかもしれません。
脇役と言うことで、ついつい後回しにされている京浜線ですが、手のリハビリの成果として、退院5年の今年の秋には何とか完成させたいものです。切妻のシンプルな電車は、見せ場がない分、ちょっとしたエラーでも目立ってしまいます。また、編成ものと言うことで、全部連結した時に統一感がなければいけません。そんな点に意を用いながら進めます。
基本7両の最後の1両であるサハ103、大まかな塗装が出来ました。単色なので、塗りムラなどは目立ってしまいますから、細心の注意を払います。単色のものはマスキングもないから易しいと思われがちですが、意外と落とし穴があったりします。Hゴム等の色差しは来週になりそうです。
台車と床下を取り付けて線路に載せてみます。出来上がったつもりになって、手が止まってしまうところですが、まだまだやることはあります。
取りあえず倒れて5年になる来月下旬には、基本の7両が揃いそうです。
引き続いて床下機器を取り付けます。京浜東北線の非冷房103系、基本的にカツミの冷改車を使用していますが、サハに関しては早々に売り切れになって、入手し損ねたのでKSのものを使用しています。床下機器は、ホビーモデルのものを使用します。これはカツミ・エンドウパーツ分売のない非冷房モハ102も同様です。
101系の側面を流用して、前面を新規に作ったホビーのプラ製103系ですが、何故か床下はソフトメタルパーツです。一般的な真鍮製品同様、φ2.0の足で床に取り付ける構造です。エンドウの床下機器取付板は、車体裾とツライチになりますから、このパーツはそのまま使えます。
基本的には、添付の図面を基に穴を開けて接着しますが、例によって経年劣化による脱落防止のためハンダ付けしてあります。サハは形態上、前位・後位が分かりにくいですが、床下で見るとブレーキ作用装置のある側が後位になります。
床に取り付けてみます。車体はネジ止めしていないので、やや浮いていますが、全体の印象は悪くありません。室内灯取付金具も付いて塗装に進みます。
単純な切妻電車と言うことで、退院後の手のリハビリの最初のテーマでしたが、倒れて5年でようやく基本の7両が揃いそうです。病院から脱出するまでに半年かかりましたが、その復活5年の11月には、是非ともフル10両編成を完成させたいものです。脳卒中からの復興第1次5ヵ年計画の成果として・・・。
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