ワンマン化直後の都電荒川線
引き続き古いネガの整理を行います。東京近辺モノも結構出てきました。身近なものだけに、今改めて見ると懐かしさを感じます。
ワンマン化直後の荒川線の風景です。最近では新型車両が続々投入され、ワンマン化当初の7000形・7500形もいよいよ置き換えと言うことで、ここで当時の様子を振り返ってみるのも意義があるかと思います。いずれも1979年頃の撮影です。
ワンマン化に際して車体新造で更新された7000形です。ちょっと使用感が出てきたかな、と言う風情ですが、まだ更新車体としては完全な原形です。最近のリバイバルカラーの7022と比べると色が薄い感じです。
こちらは現在の7022です。30年間の間に相当手を入れていることが分かります。ワンマン化の頃は、都電や都バスにはクーラーなどなくて当たり前の時代でした。
こちらは、元の車体を改造した7500形です。この5・6年後に都電最初の冷房車として、現在の車体に載せかえられることになります。専用軌道が多いので、この時点でステップレス化され、車椅子置き場も設置されるなど、バリアフリーのさきがけとなりました。正面右側が出っ張っているのは、ステップレスになったため、安全地帯との隙間をなくすようにしたためです。
ワンマン移行時には、ステップ付きの車両が並存していたこともあって、ホームは中途半端な高さになっていました。これは、その後2回目のかさ上げを行ってひとまず完成した状態ですが、まだ現在のように完全なフラットにはなっていません。この数年後に再度の改修を行って、今のスタイルになります。
カーブした停留場はこんな感じでした。安全地帯もない道路から直接乗り降りしていた頃に比べれば、かなりマシにはなっていたわけですが、これも後年ホームを踏切の反対側に移設して、電車の床と平らになるように改良されました。「バリアフリー」と言う考え方がまだなかった時代に、交通局が自前で試行錯誤を重ねながら整備を進めたというのは評価できるでしょう。
宮ノ前の併用軌道です。今は道路の拡幅に合わせて、軌道を縁石で囲って、緊急自動車以外は入れないようになりました。
こちらは町屋駅前です。駅前の区画整理で再開発ビルが出来て、現在はすっかり近代的な街になりました。
荒川線は、恒久的な存続が決まってから、経営改善のために1977年からワンマン化が行われました。その後はほぼ毎年黒字経営でしたが、地下鉄の建設などもあって、間に合わせ的な更新車が長く使われてきました。本当はワンマン化の頃に7700形という新形式が数両計画されたのですが、いつの間にかぽしゃってしまい、新形は8500形までお預けになってしまいました。ようやく地下鉄などの大プロジェクトも終わって、都電の方に予算が回ってくるようになりました。8800形は毎年数両単位で投入されるようなので、ワンマン化第一世代の活躍ももうそう長いことではないでしょう。
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