客車の製作はまだまだ続きます。リハビリ用に捕獲しておいた103系はいったいどこへ行ったんでしょうか?
ED75が出来て丸ごと客車を召し上げられたED71の分を揃えなければなりませんが、あわせて、最近出てきた新パーツのご紹介なども含めて進行したいと思います。手や指先の機能回復のための作業療法的な意味合いもありますが、これは欠かさず気長にやるしかないようなので、ある意味、模型のように熱中できる細かい作業と言うのは一番良いのかもしれません。退院してそろそろ1年ですが、手の動きや感覚は1年前と比べて明らかに良くなっているようです。決して、退院したからリハビリも終わり、というものではないようです。
そんなわけで、次はオハ47にかかります。オハ47と言う形式は、寝台車の乗り心地改善のために台車を供出したスハ43にTR23を履かせて出来た形式です。台車が軽くなった分、形式もワンランク下がって、「ス」から「オ」になりました。峠越えなどで牽引定数の制約が厳しい、信越線や奥羽線の夜行急行などでは、旧型客車の終焉まで好んで使われていたようです。
模型の方は、以前タニカワのスハ43を組んで日光のTR23を履かせたものがあったのですが、昨今の部品類の充実もあって作り直すことにしました。特定ナンバーというわけではありませんが、70年代・80年代に東北地区で目にした改造なども取り込んで、列車にしたときに自然に見えるようなものにしようと思います。
今回は先ず、かねてより気になっていた下の部品を使ってみることにしました。
デッキの仕切ですが、額縁のあるのは客室側です。右側の額縁には、時刻表の索引地図のような「日本国有鉄道路線図」が入っていました。左側は、ある時は「チャレンジ20000km」であったり、またある時は、「禁煙モデル列車のお知らせ」だったりしました。上野にまだ旧型客車の普通列車が来ていた頃、「禁煙モデル列車」として、青森~蟹田間などの列車が出ていたりするポスターを掲出した車両が上野駅に出入りしていました。
この仕切板、実際に使う時は、このように3枚になります。
トイレのない側はドアをはさんで表裏貼り合せて使います。
組み立てが出来たら車体に組み込みます。キットのものと違って、仕切にもディテールがありますから、組み立ての順序を変えて正確に付けるようにします。

窓枠とドアを付けた車体に、アングルを付ける前に取り付けます。問題なく出来たら、アングルと妻板を取り付けて箱にします。
ドアは、急行「アルプス」でも使ったダルマ型にしました。43系列では割合見かけたタイプです。妻板側から見てみると・・・。
ドアのディテールが極めて効果的です。スハ42やオハフ61の便所側が後ろになるときなど、特に良さそうです。何しろキットに入っているものは、窓が抜いてあるだけで、あとはのっぺらぼうなわけですから・・・。

キットでは省略されている、トイレと客室の仕切も、これで難なく解決です。
台車の方、オハ47ではコロ軸受けに改造されたTR23Hが使われているのが大半でしたが、今では模型でもこんなバリエーションも出ています。
以前のオハ47は平軸受けのTR23、ブレーキシューも一体、軸受けメタル無しでしたから、外観も走行性能も格段に向上しています。車体の造作とも合わせて、改修では対応しきれないので、旧オハ47は廃車・売却と相成りました。
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