« デニ1300、ついに当初イメージに | トップページ | まだあった要修理品 »

2012年12月26日 (水)

心に残る荷電のイメージを求めて

 1980年代前半、当店最寄りの「東海大学前」(当時は「大根」)駅への新聞配送はトラックではなく、荷電でした。夕刊を経堂で積み込み、2両編成で出発した荷電は、相模大野で江ノ島線へ行くものを分割して、大根には単行でやってきました。洗練された印象の強い小田急線ですが、あの時代は、貨物列車も健在でしたし、他にも神奈川県西部には、全車両が旧型17m国電の大雄山線や、本場スイスのモーターが唸る箱根登山電車などがあって、かなりマニアックな世界でした。小田急の荷・貨物営業の廃止は、国鉄が分割民営化に動き出して、荷物列車の全廃と、小田原駅が貨物の拠点から外れた1984年のことでした。
 小田急の荷電は、新聞配送の他に小荷物輸送も行っていて、小田急電鉄発売のNゲージ、「鉄道コレクション」のデニ1300、表紙裏の写真のように、日常的に東海道線のホームに入り込んで荷物の受け渡しを行っていました。EF58の荷物列車や、113系等と並んでいたのです。

 改修のできたデニ1300、そんな時代の雰囲気を再現すべく、ウエザリングを行いました。

Daisha1

 最末期まで鋳鉄ブレーキシューでしたから、当然錆色メインなのですが、吊りかけ車ということで、日常の保守の中で台車は油まみれになっています。そこで、まず台車全体に薄く溶いた黒を染みさせます。その後に、客車と同様、薄く溶いたレッドブラウンをエアブラシで吹きます。

1303

 元の色が、台車はグレー、床下機器は黒ですから、汚した後のコントラストも欲しいわけですが、こうすることで違いが表現できるようです。

1304

 屋根上では、パンタ関係がカーボンの黒汚れが強いので、同様に薄く溶いた黒を全体に回しました。その後、エアブラシで薄く溶いたレッドブラウンを吹きつけます。そして、艶消しコートを吹いて仕上げます。パンタの碍子は、今でも「碍子清掃」という作業があるように、手入れされているわけですから、白で塗装してきれいな状態を表現しました。

1302

 車体本体の白帯や、レタリングの手直しがまだですが、店舗にお越しいただく方が、小田急の荷電って確かにこうだったよな、と思っていただける仕上がりを目指します。

1305

 取りあえずの完成状態のこれよりは、印象がだいぶ良くなったと思っています。


 

|

« デニ1300、ついに当初イメージに | トップページ | まだあった要修理品 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« デニ1300、ついに当初イメージに | トップページ | まだあった要修理品 »