流れ流れて、熊本へ
福岡で用事を済ませて、熊本へと進みました。ちょっと趣を変えて、福岡の天神から大牟田まで久々に西鉄電車に乗ってみました。最新の3000形は何となく南海電車っぽいカラーリングだなあ、とか、いつの間にか特急が大善寺や花畑に停まるようになっていたりとか、目新しい発見がいくつかありました。確かに天神大牟田線の場合、ライバルはJRなわけですが、そのJRもいつの間にか快速の停車駅が増えてしまい、さらに久留米以南が殆ど各駅停車になってしまって、「速達性」と言う事に関してはあまり力が入っていないような感じです。西鉄もそれに引きずられたのでしょうか?
特急は相変わらず8000形が運用されていますが、標準軌間ということを考えると走りっぷりもやや物足りない感じです。車内の自動放送のチャイムが渋谷の東急東横店と同じものでした。
大牟田からJRに乗り換えて、熊本に着いたのはそろそろ陽が傾き始める頃でした。熊本と言えば球磨焼酎に馬刺しというわけで、それがお目当てだったのは確かですが、このくらいの規模の街では最近流行の「昭和の街並み」とかがまだまだ普通に残っていますから、模型いじりのヒントとしてご紹介できるような写真も撮ろうということでした。
ここはJR熊本駅前ですが、背景の建物が思い切り昭和3,40年代の雰囲気です。トミーテックの「街並みコレクション」最新版の「駅前歓楽街」にあったようなものばかりですね。市電の軌道が石畳なのも雰囲気を盛り上げます。特別出演?の5Eのバスもいい味を出しています。
そう、この時代の表面がコンクリートのむき出しになっている建物は、少し立つと汚れて黒っぽくなっていましたね。結果として街全体が黒っぽい感じになっていたかと思います。
他に市街中心部にある鶴屋百貨店なども、昭和40年頃のデパートの雰囲気を良く残していて、懐かしく思えます。子供の頃は、デパートは「特別にお出かけする」ところでしたし、鉄道模型だって今のように出たばかりのものがディスカウント店で叩き売られるなど考えられず、デパートに行かなければ拝めないものでした。普段は見られないものがあったりして、デパートは子供にとって遊園地以上に楽しい場所でした。地方には、そんな時代の香りを今もほのかに残したデパートがあったりします。
街の中心のオフィス街の建物は、もう少し時代が下がって、昭和50年代頃のものと思われるビルが中心ですが、この頃の建物になると外側が汚れにくいようなタイル仕上げになっていたりして、黒ずんだ汚れ方をするものが殆どなくなって来ます。
街全体が明るい感じで、ちょうどやって来た超低床電車も風景に溶け込んでいます。ただ、このパトカーを模したラッピングはちょっと無理がありますね。
熊本の電車ネタとしてはもうひとつ、近々大変貌が予想される熊本電鉄も見逃せません。現在は東急5000系最後の生き残りに注目が集まっています。
現在はこのようにオリジナルカラーに戻されています。昭和20年代後半から昭和30年代にかけて登場した初期の高性能車は足回りだけでなく、車体にもさまざまな試みが盛り込まれて個性的なスタイルのものが多かったのですが、こうしたものは塗色を変えるとイメージも全く変わってしまいます。やはりこの電車にはこのグリーンが一番似合うように思います。
ここでは、もしかしたら東京で実現していたかもしれない、「幻の顔合わせ」を見ることが出来ます。
アオガエルの隣にいるのは都営三田線の6000形ですが、都営三田線は当初三田から先は桐ヶ谷を経て目蒲線へ、高島平(志村)から先は大和町(現在の和光市)まで延伸して東武東上線へ乗り入れる計画でした。目蒲線への乗り入れは早々に立ち消えになりましたが、その後復活して現在のような形になりました。東上線への話はその後しばらくは残っていた様ですが、昭和51年に増備された最後の2編成で東武仕様の上下で音の異なるタイフォンが廃止されています。
もし目蒲線への乗り入れが当初の予定通り進んでいたならば、田園調布や多摩川園でこの顔合わせは実現していたかもしれません。
いかにも地方の私鉄ならではのことですが、計画のようにLRT化された暁には、これら「昭和の残党」たちも一掃されてしまうでしょう。
アオガエルの車内にはこんな張り紙がありました。
もはや地方の私鉄でも、冷房が必須のものになっているというあたりに時代の流れを感じました。
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