震災で被災したモハ103の代替車体が完成しましたので、基本編成に組み込んで試運転を行いました。

折しも5年前の今日、脳出血で倒れました。この京浜東北線は、単純な形態なので手のリハビリに良いだろうということで、最初は3両編成で終わりにするつもりで始めたものですが、だいぶ手の動きが戻ってきて、店のレイアウトでは7両基本が限界ですが、やはりフル編成で、ということになりました。Nゲージファンの方が、場所がなくてもやはりフル編成で揃えたいという気持ちと同じだと思います。動力装置などは元のものを再用していますから、走行状態に特に問題はありませんでした。もう少し慣らし運転を行えば完全でしょう。
それにしても、あの日は店が終わって、疲れたなと伸びをした時に頭の中にスパークが走って、急に力が抜けました。痛みとかはなかったのですが。おかしいなと思って横になったら最後、起き上がれなくなりました。次の日だったかお客様がみえた時に救急車を呼んでもらって病院へ行ったのですが、救急病院というのは無神経ですね。言葉は大丈夫だったので(というより、その時点ではまさか脳卒中になっていたとは思っていませんでしたが)、必要事項を伝えた後、疲れて居眠りを始めたのですが、無神経な医者は、どこかと連絡を取っているようで、「会わせたい人を呼んできて」とか言っています。要は「俺はもうすぐ死ぬんだな」と思いました。こちらは何が起きたのかわからなかったので、ひとまず病院に着いてほっとしていただけだったのですが。一晩中起き上がろうとして悪戦苦闘していたのですから。(そう簡単に起き上がれるものではない、というのはリハ病院に行ってから知ったわけです)
1か月弱で、山の中のリハビリ病院に移りましたが、その時に救急病院の医者は、杖をつけば歩けるようになりますから、と言ってました。しかし、40代中盤でよぼよぼになるわけには行きません。死に損なった以上、何としても杖や装具を使わないで歩けるようになりたい、仕事に復帰して前と同じように問屋さんを回ったりしたい、という気持ちでいっぱいでした。リハ病院では車いすも自力で漕がなければならないのですが、左手が使えないので、右の車輪だけ回しても前進しません。足で漕ぐにしても右足しか使えませんから、なかなか進んでくれません。何しろある日突然歩けなくなって車椅子になったというのは相当なショックでした。しかし、自力で車椅子を漕ぐところからリハビリが始まるのだと思って、こんな目標を立てました。「1年後には列車で北海道へ行ってカニを食べて来よう」。まあ無理だと言われるのがオチなので、これは口外にしませんでしたが、そのためには?という切り口でリハに取り組みました。結局1年後には、列車で釧路の和商市場に辿りついて、蟹にありつけたわけですが、あの時は本当に感激しました。
倒れて5年経った現状は、自己採点で80点レベルだと思います。ただ、半年経ったらそれ以上は良くならない、というのは完全に嘘だということが分かったので、まだまだ粘ります。この辺まで来ると、残っている課題は難しいものが多いのも確かですが。

この京浜東北の103系も、困難なリハビリや東日本大震災を乗り越えて、5年をかけて今日基本が形になったというのも、何かの縁かもしれません。半年近く入院したわけですが、仮復旧?5年の11月15日には限りなく9割レベルに近づきたいものです。
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