最近はネットオークションで古い機関車を手に入れて、これに手を加えて楽しんでいる方も多いですね。程度はピンキリですが、材料として考えれば、比較的安価に入手できるのと、現在生産されていない機種にめぐり合えるというメリットがあります。
管理人も、ED71、ED75、EF71があるのでED78が欲しいなと思っていました。先日天賞堂から久しぶりに再生産がありましたが、あの値段の完成品をいたずらするには勇気が要りますね。きれい過ぎる塗装だって値段のうちですから。たまたまネットオークションを見ていたら、出てきました。程度も良さそうなので応札してみました。結果的に現在の機関車の車体バラキット程度の金額で捕獲することが出来ました。
1977年製造の天賞堂のものです。車齢31年ですが、車体の状態はとてもよく、走行も問題ありませんでした。管理人の持っているこれよりだいぶ後の缶モーターを積んだEF71よりも旧型モーターのこの78の方がマイルドな走りだったのにはちょっとびっくりです。
古い製品ですので、白のHゴム、ナイロン製のまっすぐなエアホース、ダイキャスト製のジャンパ栓受けなど、今の水準から見ると物足りない部分もありますが、簡単に直せるところは手を入れてみることにします。最初はMV8モーターと固定式ギアボックスもMPギアにするつもりでしたが、恐ろしく良く走るので、これは当面そのままにすることにしました。最終的にED75のように、東北の交流機ならではの、あの枯れた感じに仕上げて、61系や35系など、茶色の客車中心で東北本線より一格落ちる奥羽本線や仙山線の列車を仕立ててみたいものです。このような亜幹線では、荷物車もスユニ61とかが顔を出せることになります。昔、山形駅で見た仙山線の最終列車山寺行きの最後部に付いていたスユニ61が何故か印象に残っています。編成の味付けも、ED75の東北線とは一味違うものに出来ます。
ちょうどこの模型が製作された時代ですが、あの頃は仙台から山形まで普通列車では2時間半もかかっていました。仙台発の列車は作並あたりまで満員で、デッキ乗車をしていると列車の揺れで後ろの人に押されると転落しそうな感じでした。そんな満員の列車で特に恐ろしかったのは熊ヶ根の鉄橋でしたね。
そんな仙山線も、今では快速電車が1時間で走るようになり、軌道も強化されてED75の入線が出来るようになって、いつのまにかED78はお役御免になりました。
奥羽本線では本務機がED78、補機がEF71という役割分担でしたが、実際にはどちらも単機で使われることも多く、EF71がいかにも補機という形で使われていたのは、ED78+EF71重連の寝台特急「あけぼの」とか、重量貨物列車、そして気動車特急「つばさ」の前補機といったところだったでしょうか。
普通列車では重連運用の回送を兼ねた総括重連の列車があり、客車4,5両の列車を重連で牽引するので、難所板谷峠を軽々と越えている感じがありました。当時の福島~米沢間は、途中の赤岩・板谷・峠・大沢の4駅が連続でスイッチバックになっていました。
昔、親父の田舎の山形へ遊びに行った時に、今の季節だと関東平野は毎日良い天気ですから、当然傘を持って行かないのですが、上野から115系の鈍行で黒磯まで、そしてED75の客車列車に乗り換えて福島まで行くわけですが、そこまでは何の問題もありません。しかし、福島で乗り換えた奥羽本線の列車が福島盆地を離れて、最初のスイッチバックの赤岩に差し掛かる頃には空模様がにわかに怪しくなってきます。そして、しばらくすると、窓の外には雪が舞い始め、次の板谷駅に着く頃にはすっかり銀世界になっているのです。傘はもちろん、雪対策をしてこなかったことに気がつくのですが、もはや手遅れ、でした。板谷峠は太平洋側と日本海側を分ける分水嶺の峠なのです。頂上の峠駅を過ぎて米沢に差し掛かる手前の関根駅あたりでは、列車が吹き溜まりに突っ込んで動けなくなると言うことも良くありました。列車は豪快に雪を飛ばしながら米沢へと下って行きます。峠駅で求めたきーんと冷えた力餅をほおばりながら、効きすぎた暖房ですっかり汗をかいた窓から眺めた78の姿は、間違いなく「78の原風景」なのです。
そんな原風景を再現するべく、さっそく78の加工に取り掛かります。
最初は現行製品では改められているHゴムの色。白で表現されているものをねずみ色にしました。正面の窓は現行品のようなプラはめ込みではありませんが、窓が曇っていないのと、ピラーの形がこちらのほうが良いので、管理人は気に入っています。
取りあえず片面のみ、しかも作業途中ですが、これだけでぐっと落ち着いてきました。
いつものように、列車の旅を感じられるように仕上げてみたいと思います。仕事の合間で進行しますが、オークション捕獲品の遊び方のヒントになればと思います。
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