2009年11月17日 (火)

「鉄道ブーム」?といわれていますが・・・

 昨今は、鉄道旅行に関するTV番組や雑誌がたくさんあって、さながら「鉄道ブーム」と言う感じです。鉄道ファンの生態分類の「撮り鉄」とか「乗り鉄」といった単語も一般化していますね。その分類で行けば、管理人は「乗り鉄」傾向がかなり強いと思いますし、加えて「呑み鉄」というのもあるでしょうか。まだ完全に回復したわけではありませんから、安全を考慮して列車内では呑みませんが、九州へ行けば美味しい純米焼酎に誘われて人吉・球磨へ、といった具合です。

 鹿児島本線の八代から分岐する肥薩線は、人吉までは球磨川に沿って走るいわゆる「川線」、人吉から吉松までは有名な大畑のループ線や日本三大車窓が展開する「山線」、さらに吉松から隼人を経て鹿児島に向かえば、錦江湾に浮かぶ桜島、と風光明媚なルートで、雑誌などに取り上げられることも多くなっています。

 その肥薩線に今年、SL列車が登場しました。台枠破損で走れなくなっていた8620を台枠新製で復旧し、「あそBOY」で使用していた50系を組み合わせて「SL人吉」号として復活しました。人吉へ焼酎を呑みに行くのなら乗っても良いかな、と思ってみたのですがとんでもない、とっくに満席でした。せっかくなので、見物だけしてきました。

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 以前はヘンな色に塗られていたり、ヨーロッパ調の機関車なのにアメリカンなスタイルの煙突やカウキャッチャー、テンダーにはロゴマークがべたべた貼られて醜かったのですが、今回はややオーバーデコレーションな感じはあるものの、割合落ち着いた仕上がりになっています。

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 煙突の回転式火の粉止めも、前回のアメリカンなものでなく、さりとて昔の成田線のC57についていたような不恰好なものでもなく、オリジナルのイメージを崩さない形でまとめられています。門デフなのはさすが九州、というところでしょうか。しかし、ホームに人が一杯ですね。この駅でこんなに人がいるのを見たのは初めてです。

Bentou

 駅弁屋さんもさぞかしホクホクしていることでしょう。屋上の「汽車弁当」という言い回しが懐かしいですね。東京あたりでも、しばらく前まで、遠くへ行く列車のことを「汽車」と呼んで、国電と区別していたり、新潟あたりでは、「電車」と言うと新潟交通の電鉄のことで、国鉄は「汽車」と呼んで区別していました。「汽車」というのは必ずしもSLのことを指すだけではないのです。そう考えると、今の東北線など、「本線」とはいえ「汽車」の貫禄などなくなってしまいました。

 人吉から吉松までの区間は、観光列車「いさぶろう」「しんぺい」号が運転されていますが、こちらも大繁盛のようで、いつの間にか3両編成になっていました。

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 3県に跨るこの区間は、乗客も極端に少なく、SL時代は混合列車が運転されていたくらいのところです。JRになってからこのキハ31の片側に小さな畳を設置して、車窓案内のテープを流して運転したのが「いさぶろう」「しんぺい」の始まりでした。混雑を避けて夕方の列車で吉松へ向かいましたが、それでも5,6人乗っていました。

 マスコミで取り上げられると、わっと人が集まってくるのが日本的だなあ、と言う感じですが、古くからの「乗り鉄」「呑み鉄」の管理人にとっては、ここの盛況振りよりも、かつての撮影名所、日豊本線の宗太郎越えの3往復の普通列車がロングシートのキハ220単行になっていたことの方が強く印象に残りました。九州の鉄道の本当の今の姿を表しているように思えたからです。さすがに延岡から大分まで3時間近くこんなのに乗ろうとも思いませんので、後続の「にちりん」にしましたが、こちらもガラガラでした。「乗り鉄」的には一番日豊本線を感じられる区間だけに、これにはがっかりしました。わざわざここの区間の列車に合わせてスケジュールを作ったのですから。

 「作られた鉄道ブーム」を強く感じた九州でした。

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2009年11月14日 (土)

国鉄の香りがいっぱいの西都城駅

 日豊本線南部を普通列車で旅行すると、今は宮崎~鹿児島の直通列車がありませんから、西都城(もしくは都城)で乗り換えることになります。

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 このあたりの普通列車も、急行形の475系などが廃車になり、現在はこの817系を主力に717系などが使用されています。電車は現代的ですが、大分以南の日豊本線、架線が張られた以外、SL時代とほとんど変わっていないようにも見えます。

 最近では日向市が高架駅になり、大分駅も高架工事中ということで、少しずつ変わり始めていますが、西都城駅を中心とした都城市街地の区間は、70年代の終わりには早くも高架線になっています。ちょうど日豊本線の全線電化の時期と重なります。

 乗換えで少し時間があったので、駅を観察してみました。木造の古い駅舎のような風情はありませんが、当時の新幹線や都会の大きな駅のデザインを取り入れて、近代的に見えるように作られています。しかしながら、その後殆ど手を加えられていないようで、今の目で見ると懐かしい国鉄の駅そのもの、という感じがします。

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 駅の正面です。東海道新幹線の駅に似た意匠です。

 案内看板類にも国鉄がいっぱいです。

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 駅名看板には、廃止された志布志線の駅名がうっすらと残っています。

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 ピクトグラムが本格的に使われ始めた頃のデザインです。東京駅で最初に見たときは、カッコイイなと思いましたが、今では立派に「昭和レトロ」ですね。

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 小物の看板もりっぱに「国鉄」しています。

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 きっぷうりばです。窓口の数は少ないですが、典型的な主要駅のきっぷうりばの形態を残しています。

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 ホームに上がってみると、スラブ軌道など、当時の最新スタイルになっています。ホームの上屋なども、新幹線を意識しているようです。

 1970年代の国鉄主要駅のエッセンスをぎゅっと詰め込んだような西都城駅です。模型で再現するにもちょうどよさそうな規模ですね。   

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2009年11月13日 (金)

いつの間にか種類が増えた低床電車

 最近はNゲージ模型でも低床路面電車が発売されて、路面軌道システムなども出てくるようになりました。その低床電車の草分け的な存在は、広島のグリーンムーバーと、この熊本市電9700形でしょうか。模型になった富山のライトレールも似たようなスタイルですね。

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 広島のグリーンムーバーには、モデルチェンジしたMAXが出来ましたが、ここ熊本にも新型の0800形が登場していました。

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 模型的には、台車も見えないし、車体を作り変えるだけで、簡単に種類を増やせそうなネタです。

 低床電車にはもう一つ、この手のタイプがあります。こちらは仲間として長崎や松山の低床電車がありますが、これも動力ユニットが出来れば割合簡単に種類を増やせそうな感じです。

Kagoshima

 鹿児島市が積極的に導入している芝生の軌道、見た目がすごくきれいですね。模型でも路面軌道システムに取り入れられればと思いました。

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2009年7月 8日 (水)

北の道

 北海道の町の風景には独特の雰囲気があります。何がそうさせるのか、いろいろ観察していたのですが、最近一つのことに気がつきました。それは、「歩道にガードレールがない」ということです。札幌でも網走でも、とにかく道内どこへ行っても、です。その理由は分かりませんが、これは北海道をイメージしたレイアウトやジオラマを作る時の一つのポイントになりそうです。実際の風景をみてみましょう。

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 ここは札幌の時計台の前です。町のど真ん中ですね。

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 こちらは市街南西部を巡る市電からの風景。電車通りもやはり同じです。走り去っていくのは「親子電車」の生き残り、親の方のM101号です。唯一の旧塗装車となっています。ちなみに子の方は交通資料館に展示されています。市電の軌道がゆったりと敷かれているのにも注目です。

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 こちらは網走。駅の前を通る広い道です。やはりガードレールがなく、よく見ると車道の路肩部分の処理も本州とは違っています。

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 同じく網走ですが、駅から1kmほど歩いた市街中心部です。北海道独特の碁盤の目のようになった市街地です。ここにもやはりガードレールがありません。クラシカルなポストが今も現役で、最果ての街の雰囲気を盛り上げてくれますが、「日本郵便」のシールはちょっと・・・、と言う感じです。しかし、このポスト、当店至近のポストより「偉い」のです。それは・・・。

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 1日2回回収がある!ことです。店の前のポストは、小田急の駅の前だというのに、1日1回(平・休日とも)しか回収が来ないのです。

Nakashari

 こちらは釧網本線の中斜里。駅の真正面に道路が伸びていてその両脇に「市街」が形成されているのは北海道ではよくあるパターンですが、こんなに人気のないところでも歩道があったりするのもやはり北海道の道路の特徴のようです。

 本州とはいささか異なった道路が北海道ならではの雰囲気を作り出しているようです。北海道のジオラマを作る際にはぜひ取り入れてみたいポイントだと思います。

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2009年6月23日 (火)

網走にて

 関東地方では排気ガスの規制が厳しくなって、古いバスを目にする機会は殆どありませんが、地方に行くと「えっ!こんなのまだあるの!」というくらい古いものに出会うことがあります。網走で見かけたそんな古い車を2つご紹介しておきます。

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 一つ目はこれ。網走交通バスの日野ブルーリボンですが、スケルトンボディーとしては最初期の頃のものです。両開きのドアが変わっています。

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いろいろな角度から・・・。

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Brushiro

 文字は剥がしてありますが、いわゆる「バスセンター」カラーです。以前はブルーリボンカラー(ロゴ入り)のモノコック車が使われていたかと思います。いつでも古い車が使われているので、バスファンならば、網走に行ったら絶対に見逃せないスポット?です。

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 製造銘板を見ると昭和60年とありました。ドライバーさんも笑っていましたが、後釜となりそうなもう少し新しい車も見かけましたので、先行きそれほど長くはなさそうです。

 もう一つ、こちらも最近あまり見なくなってきたエアロスターK、つまり絶版になって久しい呉羽車体のものですが、ライト周りの雰囲気が通常の呉羽と違っています。

Aerok

 側面のスタイルや長さから見て、都営バスの「グリーンシャトル」の匂いがぷんぷんでした。正面の社名が書いてある部分など、いかにも不自然ですね・・・。

 呉羽に関して言えば、現在、東京から割合近いところでまとまって見られるのは新潟交通でしょうか。新潟駅前にも頻繁に出入りしているのを目にしました。

 ともあれ、面白いものを発見したらつぶさに観察するなり撮影するなりといった動作が割合サクサク出来るようになって、すこしずつ以前のペースに戻りつつあります。

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2009年6月22日 (月)

地の果てまで

 旅行というものは、普段見られないものや思いがけないものと出会ったりする楽しみがあります。そして、そういった場合には速やかにその場所へ行ってカメラを取り出して撮影したり、といった日常とは異なった動作が求められます。健康な時には特にどうとも思わないものですが、ある日突然立つことも歩くことも出来なくなった管理人にとって、自由にどこへでも行けるようになる(もちろんお手伝いなどなしで)、ということはある意味悲願でもありました。

 2年前の今頃は、いよいよ本格的なリハビリが始まったものの、全く立つことも出来ず、トイレに行くのにも車椅子がなければ用が足せず、着替え、風呂といった日常の動作を全て失ってしまったということは正直相当ショックでした。もう2度と一人で電車に乗って買い物などにも行けないのだろうと思うと本当に暗い気持ちになったものです。リハビリ病院ということで、急病人がいるわけでもなく、割合のんびりした雰囲気でしたので、空いた時間に携帯電話で遊んだりもしていましたが、その時に見ていたのは北海道のライブカメラでした。画面に映る風景は一番良い季節だけに、真っ青な空と鮮やかな緑の草原、画面を見ているだけでも清々しくなってくる光景でした。とても無理だろうとは思ったのですが、1年後には何としてもここへ行ってやろうと思いました。そのためには・・・、という切り口でかなりハードなリハビリもやりましたが、その甲斐あって、本当に1年後には北海道へ足を踏み入れることが出来ました。

 その後の九州などで、大体どこでも問題なく出歩けることが分かったので、今回は列車だけでなく、バスや遊覧船など、様々な乗り物を乗り継ぐという旅行ではありがちなパターンを取り入れてみました。面白いものを見つけたらすぐにカメラを出して撮影、といった旅行の中の必須動作のトレーニングの意味も込めてみました。従って、日本一長い普通列車に乗っておしまいというわけではなく、その先がある意味本題だったのです。

 日本でも有数の水揚げ高を誇る釧路ですから、まずはここで海産物を食してから、釧網本線で知床へ向かいました。

Kattedon

 おなじみ釧路駅前の和商市場の「勝手丼」です。ここは、去年真っ先にやってきたところですが、やはり魚好きには外せないスポットですね。変わったところで「クジラ」を見つけました。

 釧路から知床の入り口の斜里までは普通列車で2時間半ほどかかります。有名な釧路湿原や硫黄山、斜里岳、さらに斜里を過ぎればオホーツク海や原生花園を望む風光明媚な路線です。釧路湿原を抜け標茶を過ぎると列車は分水嶺の釧北峠を越えてオホーツク海側に入ります。やがて進行方向右手に斜里のシンボル斜里岳が見えてきます。

Sharidake

 知床半島の付け根に位置する標高1575mの火山です。北海道らしいビート畑、原生林、そしてその向こうに美しい斜里岳が浮かぶ最果ての風景は、管理人の気に入っている北海道風景の一つです。

 そういうこともあって、知床に行くのにも、いかにも観光地というウトロ温泉ではなく、最果ての町の風情を感じつつ斜里岳を心行くまで鑑賞できる斜里駅前に泊まることにしました。

Shari2

 ホテルからも、刻一刻と色を変える斜里岳が見えます。 低い建物が集まった斜里「市街」、建物が途切れたその向こうは原生林、ここが最果ての町であることを感じさせてくれます。

Sharieki

 眼下には知床斜里駅が見えます。列車に不釣合いな広い構内がまた北海道であることを感じさせてくれます。日が落ちると東京とは比べ物にならない細々とした町の明かりが広がって、最果ての夜を感じさせてくれます。

 ここから知床の観光ターミナル、ウトロまではバスで1時間弱の距離です。観光案内や絵葉書に出ている写真は6月頃に撮ったものが多いようですが、管理人は、知床には何度か来ていますが、6月は初めてでした。

Oshinkoshin

 ウトロの手前にあるオシンコシンの滝は普段は二筋なのですが、雪解け水の多いこの時期は三筋になって落ちています。

Utorokou

 知床半島の先端部分は道路もなく、さらに自然を守るために立ち入り禁止になっているので、この船に乗って見ることになります。夏が過ぎて9月になると波が高くなって欠航することも多いのですが、今の季節は殆ど欠航することはないそうです。

 以前乗ったときは天気が悪く、キャビンの中にいるしかなかったのですが、今回は良い天気です。デッキに出てゆっくり撮影することにしました。何しろ小さい船ですから、凪いでいてもゆ~らりゆらりと揺れます。その甲板上を右へ行ったり左へ行ったりしながら撮影するのは、平衡感覚を取り戻すためのリハビリネタとしては最高のようでした。

Iwozan

 観光写真でおなじみの硫黄山です。残雪と新緑、そして真っ青な海、観光写真の世界そのものの風景が広がります。団体ツアー向けのコースはこの付近で折り返します。絵葉書にある風景を見たからそれでいい、ということなのでしょう。こちらはそんなせっかちな旅をしているわけではありませんから、 知床岬まで行きます。

 沿岸には面白い形の岩がたくさんあります。波や流氷などによって形作られたのでしょう。

Takoiwa

 これは「タコ岩」。思わず納得します。そういえば、ウトロ温泉の近くにも こんなのがあります。

Kameiwa

 これはチャシコツ岬、通称カメ岩、

Gozzila

 こちらはズバリ、ゴジラ岩です。

 他にもいろいろあるのですが、そんなものを見ているところで、「本船の左手にイルカが泳いでいます」というので今度はそちらへ・・・。

Iruka

 何頭かが一緒になって泳いでいました。

 やがて、船は知床半島の最先端、知床岬へと到達します。

Misaki

 本当はこの後ろに国後島が見えるのですが、この日はガスがかかって見えませんでした。しかし、いかにも初夏という感じの清清しい風景でした。

  ここはまさに地の果て。いつの日か、地の果てでもどこへでも自由に行けるようになりたいと思っていましたが、その日は思いの外早くやってきました。揺れる船上でも躊躇することなく歩いたり撮影したり出来ることを確認できたのも大きく、実り多い最果て行きになったと思います。また一歩「完全復活」に近づけたように思います。

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2009年6月15日 (月)

根室本線の旅

 北海道と言うと、やはりあの広大な道東の風景に惹かれます。復活後2度目の北海道もやはり道東を目指しました。去年と比べるとだいぶ気分的にも余裕が出てきましたので、途中での列車や施設などの観察が出来るようになってきました。

 管理人が初めて根室本線に乗ったのは、今から30年近く前、小樽から釧路行きの夜行列車「からまつ」ででした。スハ43系の北海道バージョン、スハ45・スハフ44の座席車が4両、寝台車2両、それに郵便車と荷物車が各1両と言う編成でした。普通列車に寝台車が付いていると言うのも今では考えられませんが、この列車は当時上野から普通列車の乗り継ぎで接続していたのです。電化区間の函館本線滝川まではED76-500、以後はDD51の牽引でした。まだ石勝線が開通しておらず、釧路方面への列車は、優等列車も含めて全部滝川経由だった時代です。石勝線開通後は根室線の滝川~新得間はすっかりローカル線になってしまいました。

 その根室本線には、現在日本で一番長い距離を走る普通列車があります。滝川9:37発釧路行きの2429Dがそれです。「からまつ」や函館~旭川間の普通列車に比べれば短いなあ、と言う感じですが、昨今の鉄道旅行ブームのせいか、そうしたガイド本を持った人たちが乗っていました。

Takikawa

 日本一長い距離を走る割にはキハ40の単行で、およそ本線の列車には見えませんが、現在の北海道ではこれが標準的な姿です。良く見るとワンマン対応の700番台が、いつしか1700番台になっています。エンジンを取替えたようで、キハ40はまだまだ使うぞ、と言うことのようでした。車内も扇風機からバス用のラインクロスファンに交換されています。走り出して見ると、それほど以前より速くなったという感じはありませんでした。

 富良野駅では先行の富良野行きで運転してきた車両を連結して、ここからは2両での運転です。

Furano

 真昼間の乗客の少ない時間だけに、2両にする意味もないように思えますが、どうやらこの列車は、所属の釧路へ入庫させるためのものと言う意味合いもあるようです。後ろに付いた車両もまた1700番台でした。去年と比べると着実に増えているようです。

Yuubari

 富良野を出ると夕張山地の裏側を眺めながら、列車は狩勝峠を目指して登っていきます。山にはまだ雪が残って北海道の遅い春を感じさせてくれます。

Kanayama

 空知川をせき止めて出来た金山湖に近い金山駅です。無人駅ながら、駅舎がしっかり残っているのは、冬場の保線作業などの拠点として使うからなのでしょう。

 駅を出てしばらくすると金山湖を渡ります。

Kanayamako

 やがて、列車は「ぽっぽ屋」で有名になった幾寅駅を通って落合に着きます。幾寅駅はセットが残っており、ロケに使用された「キハ12」の前頭部も置いてあったりするのですが、時間も経ったせいか、駅前には誰もおらず空しい雰囲気でした。

Ochiai

 落合では狩勝峠を越えてきた上り列車と交換しますが、この先の新狩勝信号場で合流する「スーパーおおぞら」を先行させるためすぐには発車しません。またここが空知と十勝の境界という事で、ここ止まりの列車の設定もあります。根室本線を普通列車で旅行する場合には、落合~新得間の時刻をまず決めてから前後の連絡を設定する必要があります。

 落合を出ると新狩勝トンネルを抜けて新得へと下っていきます。この区間は一駅28Kmもありますが、車窓にはいよいよ十勝の大平原が広がります。

Karikachi

 右へ左へと大きなカーブを描きながら山を下っていきます。やがて街が見えてくると新得に到着です。

 列車は十勝の大平原を横断して、帯広に向かいます。根室本線には石勝線経由で貨物列車も運転されていますが、いつの間にかここも機関車はDF200が主役になっていました。

Df200

 この機関車、何となく外国の機関車っぽいデザインで、十勝の大平原には良く似合うように思います。かつての主役DD51は、DF200と同じ色になった更新車が僅かに目に止まった程度でした。

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 機関車の世界も着実にに変化しています。

 帯広駅ではしばらく停車するので、弁当を買ってきました。これは去年もやったのですが、駅弁を食べるには両手が使えないといけません。普通列車ですから、テーブルもありません。駅弁も今はホームでは売ってなく、高架ホームから地上の改札口へ降りて外へ出なければなりません。

Butadon

 時間内に買ってきて、列車で食べる、というのは結構いいリハビリ訓練になります。馬の目の前にニンジンをぶらさげるようなものでしょうか。去年よりは一連の動作がかなりスムーズになっていることを実感しました。やはり帯広は「豚丼」ですね。

 帯広を出た列車は、引き続き十勝の大平原を走ります。

Tokachi

 誰も乗っていない列車で、こんな風景を眺めていると、心が解放されたような気分になってきます。入院して車椅子に座らされた時には、もう二度と目にすることはないだろうと思った世界です。そして、普通列車ですから、窓を開けて「十勝」を身体全体で実感するのです。

Ikeda

 ところどころ牛がのんびりと草を食んでいたりします。何の変哲もない風景ですが、でも、これぞ北海道、と言う感じです。管理人が気に入っているシーンの一つです。

Makubetsu

 広大な十勝平野を颯爽と走る「スーパーおおぞら」です。列車名の「おおぞら」を実感します。ここ幕別駅は一線スルーで高速化されたので、右側通行での交換になります。

Urahoro

 帯広からの人の流れは、ここ浦幌までで、折り返し列車の設定もあります。この先は釧路管内と言うことで、高校生の流れもまたここで切れるわけです。浦幌を出ると列車は小さな峠を越えて太平洋側へと出ます。原生林に囲まれた常豊信号場で貨物列車と交換します。

Tsunetoyo

 原生林の中を行くDF200というのもなかなか良い感じです。

 列車はやがて太平洋に沿って走りますが、この時期特有の濃い霧に阻まれて白一色の世界になってしまいました。やがて列車は釧路に到着します。到着する頃には霧も晴れて、傾いた西日が列車を照らしました。

Kushiro

 1番のりばに駅の本屋と鉄道管理局の入ったビルがある国鉄時代の典型的な主要駅の趣です。最近では改築も進んで、こうしたスタイルの駅も少なくなってきました。特急列車は必ず1番のりばから発着すると言うのも鉄則ですね。

 こうして8時間1分の日本一の普通列車の旅は終わるのですが、さすがに最初から最後まで乗っている人はいませんでした。滝川で旅行の本を持っていた人はどこへ行ったのでしょうか。

 北海道は列車の本数が少ないので、パターンが固定されてしまいがちですが、定点観測的に細かい変化を観察しながら行くと思わぬ発見もあるものです。例えば・・・。

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 1700番台のナンバー、ハイフンがつくのか、つかないのか?とか、結構面白い発見があったりします。後々の模型ネタに使えるようなものもあるかもしれません。実物あっての模型なのですから、実際に見た印象と言うのは模型を楽しむ上でも重要なファクターだと思います。新製品が出たから買う、だけというほど底の浅いものではないのです。実際に見て印象的だったら、古い製品を使う、というのもあるわけですし。

 そして、何よりそうした観察が出来るようになっていた、というのが今回の収穫でもあります。

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2009年4月 6日 (月)

峠の力餅

 奥羽本線は、福島を発車するとすぐに分水嶺の板谷峠にかかります。今では山形新幹線の電車が軽々と越えていきますが、かつては赤岩・板谷・峠・大沢の連続する4つのスイッチバックで山を越えていました。そこを走る機関車も古くはEタンクの4100・4110、戦後間もなく電化された後は、勾配用のEF16、EF64、交流切り替え後はEF71・ED78といった勾配線用の様々な形式が活躍してきました。

 サミットの峠駅は標高624m、ここでは「峠の力餅」というものが売られています。今は山形新幹線の車内にもあるようですが。

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 駅弁のような体裁で、ホームの立ち売りも駅弁屋さんスタイル、中学の頃ここを始めて鈍行で通った管理人は、「こんな山の中に駅弁?」と思ったのですが、求めてみると大福餅で、???と思ったものです。

 でも、スイッチバックの連続で越える険しい峠の道中で一休み、と言う風情が気に入っていました。中身の餡子がさっぱりしているのもポイントが高いですね。

 客車の鈍行もスイッチバックも消えて久しいですが、久しぶりにこれを口にすると、ED78やEF71がモーターの音も高らかに峠を越えていたシーンを思い出します。峠を越えれば、山形の純日本的な田舎の景色が広がる奥羽線の旅は、とても魅力的でした。そんな奥羽線も今ではロングシートの通勤電車。旅の楽しみはすっかり失せてしまいました。

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2008年12月 3日 (水)

芝生の併用軌道

 先日、鹿児島に行ったときに見た芝生の併用軌道です。路面電車の軌道は石畳になっていることが多いですが、この芝生の線路は新鮮な感じです。

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 無機的な街の風景に潤いを与えています。ノンステップ電車の「ユ-トラム」にもバージョン2が登場しています。バージョン1ではいささか狭かった客室部分が3セクションになって、余裕が出来ました。運転台部分の台車が動力台車なのは変わりませんが、真ん中の車体にも動力無しの車輪が付いています。

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 ヨーロッパのライトレールを思わせるデザインがなかなか良いですね。足を悪くした人にとっては、こんなラクな乗り物は他にありません。環境に配慮した芝生の軌道、誰もが利用しやすいノンステップ電車、すばらしいと思いませんか。

 模型では富山のライトレールが予告されていたと思いますが、こんな人と環境にやさしい街のレイアウトなんていうのも良いですね。

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2008年11月25日 (火)

「夢の超特急」、夜行列車・・・「国鉄の時代」の終わり

 JRになって既に20年以上が経過しました。今まで残っていた国鉄の面影も急速に姿を消しつつあります。今月末には、初代の新幹線として長らく活躍した0系が引退しますし、来年春のダイヤ改正では、引き続き夜行列車の削減などが行われるようです。

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 東海道新幹線は、東京オリンピックの開かれた1964年の開業ですが、敗戦で全くの焼け野原になった日本が僅か20年足らずのうちに世界一速い鉄道を作り上げたと言うことで、戦後の復興の集大成と言うことも出来ると思います。そして時代は高度成長へと進んでいきます。「夢の超特急」の「夢」は、技術者たちの夢ばかりでなく、日本の発展を願う全ての人々の夢でもあったのでしょう。大きいもの、速いものが大好きな子供たちにも夢を与えていたのは間違いありません。

 一方、国鉄は新幹線の開通あたりを境にして赤字体質に転落、最後は分割民営化で姿を消すことになります。0系がその後マイナーチェンジを繰り返しながら延々と作り続けられたのもそれと無縁ではなかったでしょう。ある意味、同じ時代に登場した103系に通じるものがあります。

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 103系は当初、山手線用として設計されたものですが、輸送の逼迫もあって、本来の用途とは異なる駅間の長い区間の多い関西地区などにも大量に投入されました。線区の事情に見合った新車がまとまって入るようになるのはJRになってからですね。こちらも、そんな新系列車の台頭で、今後急速に姿を消して行くでしょう。

 夜行列車も、新幹線網の発達で、もはや存在理由は見当たりません。民営になったJRにしてみれば、夜間に張り付けておく要員の人件費、これだけのために残しておかねばならない機関車や客車等等、もう無駄の塊でしかないわけです。

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 九州特有のお椀形のヘッドマークももう見納めになるのでしょうか。

 駅も急速に変化しています。下の写真は山陽本線岡山駅です。

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 山陽新幹線開通の時からのものですが、近年大幅なリニューアルが行われました。駅の裏側との通り抜けを良くする為に自由通路を設け、駅舎の機能はこの部分の中央にまとめられて橋上駅の形態になっています。

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 幹線の主要駅というよりは、私鉄のちょっと大きい駅(小田急で言えば相模大野とか・・・)といった風情です。もともときっぷうりばなどがあった部分には、ファーストフード店などが入っています。

Ok1

 幹線の主要駅では、高架化されるケースも目に付きます。

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 ここは日豊本線の大分駅。県庁所在地の玄関であり、久大本線、豊肥本線の乗換駅でもあります。駅舎と鉄道管理局が一つのビルにまとまった形態は、昭和40年代頃に流行った?スタイルですね。駅によっては、これに「ステーションデパート」なるものが同居しているのも良く見かけたものです。

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 駅の構内自体は、汽車の時代と殆ど変わらず、かつての主要駅の面影をとどめています。このスタイルの場合も駅の裏側へ出るには不便ですし、市街地の真ん中に大きな踏切が残ったりすると言うことで、近年は高架化が進んでいます。

Oita_2

既に久大本線などが高架ホームからの発着になっていました。新設されたホームは現在の輸送量にあわせたもので、私鉄の駅を思わせます。

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 鉄路を彩った長距離列車とともに、こうした貫禄のある主要駅と言うのもまた過去のものになりつつあります。近距離列車から夜行列車まで、さまざまな列車が集う幹線の駅と言うのも、今のうちに記録しておく必要があるのかもしれません。

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