2009年7月 8日 (水)

北の道

 北海道の町の風景には独特の雰囲気があります。何がそうさせるのか、いろいろ観察していたのですが、最近一つのことに気がつきました。それは、「歩道にガードレールがない」ということです。札幌でも網走でも、とにかく道内どこへ行っても、です。その理由は分かりませんが、これは北海道をイメージしたレイアウトやジオラマを作る時の一つのポイントになりそうです。実際の風景をみてみましょう。

Douro2

 ここは札幌の時計台の前です。町のど真ん中ですね。

101

 こちらは市街南西部を巡る市電からの風景。電車通りもやはり同じです。走り去っていくのは「親子電車」の生き残り、親の方のM101号です。唯一の旧塗装車となっています。ちなみに子の方は交通資料館に展示されています。市電の軌道がゆったりと敷かれているのにも注目です。

Abashiri1

 こちらは網走。駅の前を通る広い道です。やはりガードレールがなく、よく見ると車道の路肩部分の処理も本州とは違っています。

Abashiri2

 同じく網走ですが、駅から1kmほど歩いた市街中心部です。北海道独特の碁盤の目のようになった市街地です。ここにもやはりガードレールがありません。クラシカルなポストが今も現役で、最果ての街の雰囲気を盛り上げてくれますが、「日本郵便」のシールはちょっと・・・、と言う感じです。しかし、このポスト、当店至近のポストより「偉い」のです。それは・・・。

Abashiri3

 1日2回回収がある!ことです。店の前のポストは、小田急の駅の前だというのに、1日1回(平・休日とも)しか回収が来ないのです。

Nakashari

 こちらは釧網本線の中斜里。駅の真正面に道路が伸びていてその両脇に「市街」が形成されているのは北海道ではよくあるパターンですが、こんなに人気のないところでも歩道があったりするのもやはり北海道の道路の特徴のようです。

 本州とはいささか異なった道路が北海道ならではの雰囲気を作り出しているようです。北海道のジオラマを作る際にはぜひ取り入れてみたいポイントだと思います。

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2009年6月23日 (火)

網走にて

 関東地方では排気ガスの規制が厳しくなって、古いバスを目にする機会は殆どありませんが、地方に行くと「えっ!こんなのまだあるの!」というくらい古いものに出会うことがあります。網走で見かけたそんな古い車を2つご紹介しておきます。

Br1

 一つ目はこれ。網走交通バスの日野ブルーリボンですが、スケルトンボディーとしては最初期の頃のものです。両開きのドアが変わっています。

Brdoor2

Brdoor

いろいろな角度から・・・。

Br11

Br2

Br12

Brmae_2

Brushiro

 文字は剥がしてありますが、いわゆる「バスセンター」カラーです。以前はブルーリボンカラー(ロゴ入り)のモノコック車が使われていたかと思います。いつでも古い車が使われているので、バスファンならば、網走に行ったら絶対に見逃せないスポット?です。

Br3

 製造銘板を見ると昭和60年とありました。ドライバーさんも笑っていましたが、後釜となりそうなもう少し新しい車も見かけましたので、先行きそれほど長くはなさそうです。

 もう一つ、こちらも最近あまり見なくなってきたエアロスターK、つまり絶版になって久しい呉羽車体のものですが、ライト周りの雰囲気が通常の呉羽と違っています。

Aerok

 側面のスタイルや長さから見て、都営バスの「グリーンシャトル」の匂いがぷんぷんでした。正面の社名が書いてある部分など、いかにも不自然ですね・・・。

 呉羽に関して言えば、現在、東京から割合近いところでまとまって見られるのは新潟交通でしょうか。新潟駅前にも頻繁に出入りしているのを目にしました。

 ともあれ、面白いものを発見したらつぶさに観察するなり撮影するなりといった動作が割合サクサク出来るようになって、すこしずつ以前のペースに戻りつつあります。

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2009年6月22日 (月)

地の果てまで

 旅行というものは、普段見られないものや思いがけないものと出会ったりする楽しみがあります。そして、そういった場合には速やかにその場所へ行ってカメラを取り出して撮影したり、といった日常とは異なった動作が求められます。健康な時には特にどうとも思わないものですが、ある日突然立つことも歩くことも出来なくなった管理人にとって、自由にどこへでも行けるようになる(もちろんお手伝いなどなしで)、ということはある意味悲願でもありました。

 2年前の今頃は、いよいよ本格的なリハビリが始まったものの、全く立つことも出来ず、トイレに行くのにも車椅子がなければ用が足せず、着替え、風呂といった日常の動作を全て失ってしまったということは正直相当ショックでした。もう2度と一人で電車に乗って買い物などにも行けないのだろうと思うと本当に暗い気持ちになったものです。リハビリ病院ということで、急病人がいるわけでもなく、割合のんびりした雰囲気でしたので、空いた時間に携帯電話で遊んだりもしていましたが、その時に見ていたのは北海道のライブカメラでした。画面に映る風景は一番良い季節だけに、真っ青な空と鮮やかな緑の草原、画面を見ているだけでも清々しくなってくる光景でした。とても無理だろうとは思ったのですが、1年後には何としてもここへ行ってやろうと思いました。そのためには・・・、という切り口でかなりハードなリハビリもやりましたが、その甲斐あって、本当に1年後には北海道へ足を踏み入れることが出来ました。

 その後の九州などで、大体どこでも問題なく出歩けることが分かったので、今回は列車だけでなく、バスや遊覧船など、様々な乗り物を乗り継ぐという旅行ではありがちなパターンを取り入れてみました。面白いものを見つけたらすぐにカメラを出して撮影、といった旅行の中の必須動作のトレーニングの意味も込めてみました。従って、日本一長い普通列車に乗っておしまいというわけではなく、その先がある意味本題だったのです。

 日本でも有数の水揚げ高を誇る釧路ですから、まずはここで海産物を食してから、釧網本線で知床へ向かいました。

Kattedon

 おなじみ釧路駅前の和商市場の「勝手丼」です。ここは、去年真っ先にやってきたところですが、やはり魚好きには外せないスポットですね。変わったところで「クジラ」を見つけました。

 釧路から知床の入り口の斜里までは普通列車で2時間半ほどかかります。有名な釧路湿原や硫黄山、斜里岳、さらに斜里を過ぎればオホーツク海や原生花園を望む風光明媚な路線です。釧路湿原を抜け標茶を過ぎると列車は分水嶺の釧北峠を越えてオホーツク海側に入ります。やがて進行方向右手に斜里のシンボル斜里岳が見えてきます。

Sharidake

 知床半島の付け根に位置する標高1575mの火山です。北海道らしいビート畑、原生林、そしてその向こうに美しい斜里岳が浮かぶ最果ての風景は、管理人の気に入っている北海道風景の一つです。

 そういうこともあって、知床に行くのにも、いかにも観光地というウトロ温泉ではなく、最果ての町の風情を感じつつ斜里岳を心行くまで鑑賞できる斜里駅前に泊まることにしました。

Shari2

 ホテルからも、刻一刻と色を変える斜里岳が見えます。 低い建物が集まった斜里「市街」、建物が途切れたその向こうは原生林、ここが最果ての町であることを感じさせてくれます。

Sharieki

 眼下には知床斜里駅が見えます。列車に不釣合いな広い構内がまた北海道であることを感じさせてくれます。日が落ちると東京とは比べ物にならない細々とした町の明かりが広がって、最果ての夜を感じさせてくれます。

 ここから知床の観光ターミナル、ウトロまではバスで1時間弱の距離です。観光案内や絵葉書に出ている写真は6月頃に撮ったものが多いようですが、管理人は、知床には何度か来ていますが、6月は初めてでした。

Oshinkoshin

 ウトロの手前にあるオシンコシンの滝は普段は二筋なのですが、雪解け水の多いこの時期は三筋になって落ちています。

Utorokou

 知床半島の先端部分は道路もなく、さらに自然を守るために立ち入り禁止になっているので、この船に乗って見ることになります。夏が過ぎて9月になると波が高くなって欠航することも多いのですが、今の季節は殆ど欠航することはないそうです。

 以前乗ったときは天気が悪く、キャビンの中にいるしかなかったのですが、今回は良い天気です。デッキに出てゆっくり撮影することにしました。何しろ小さい船ですから、凪いでいてもゆ~らりゆらりと揺れます。その甲板上を右へ行ったり左へ行ったりしながら撮影するのは、平衡感覚を取り戻すためのリハビリネタとしては最高のようでした。

Iwozan

 観光写真でおなじみの硫黄山です。残雪と新緑、そして真っ青な海、観光写真の世界そのものの風景が広がります。団体ツアー向けのコースはこの付近で折り返します。絵葉書にある風景を見たからそれでいい、ということなのでしょう。こちらはそんなせっかちな旅をしているわけではありませんから、 知床岬まで行きます。

 沿岸には面白い形の岩がたくさんあります。波や流氷などによって形作られたのでしょう。

Takoiwa

 これは「タコ岩」。思わず納得します。そういえば、ウトロ温泉の近くにも こんなのがあります。

Kameiwa

 これはチャシコツ岬、通称カメ岩、

Gozzila

 こちらはズバリ、ゴジラ岩です。

 他にもいろいろあるのですが、そんなものを見ているところで、「本船の左手にイルカが泳いでいます」というので今度はそちらへ・・・。

Iruka

 何頭かが一緒になって泳いでいました。

 やがて、船は知床半島の最先端、知床岬へと到達します。

Misaki

 本当はこの後ろに国後島が見えるのですが、この日はガスがかかって見えませんでした。しかし、いかにも初夏という感じの清清しい風景でした。

  ここはまさに地の果て。いつの日か、地の果てでもどこへでも自由に行けるようになりたいと思っていましたが、その日は思いの外早くやってきました。揺れる船上でも躊躇することなく歩いたり撮影したり出来ることを確認できたのも大きく、実り多い最果て行きになったと思います。また一歩「完全復活」に近づけたように思います。

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2009年6月15日 (月)

根室本線の旅

 北海道と言うと、やはりあの広大な道東の風景に惹かれます。復活後2度目の北海道もやはり道東を目指しました。去年と比べるとだいぶ気分的にも余裕が出てきましたので、途中での列車や施設などの観察が出来るようになってきました。

 管理人が初めて根室本線に乗ったのは、今から30年近く前、小樽から釧路行きの夜行列車「からまつ」ででした。スハ43系の北海道バージョン、スハ45・スハフ44の座席車が4両、寝台車2両、それに郵便車と荷物車が各1両と言う編成でした。普通列車に寝台車が付いていると言うのも今では考えられませんが、この列車は当時上野から普通列車の乗り継ぎで接続していたのです。電化区間の函館本線滝川まではED76-500、以後はDD51の牽引でした。まだ石勝線が開通しておらず、釧路方面への列車は、優等列車も含めて全部滝川経由だった時代です。石勝線開通後は根室線の滝川~新得間はすっかりローカル線になってしまいました。

 その根室本線には、現在日本で一番長い距離を走る普通列車があります。滝川9:37発釧路行きの2429Dがそれです。「からまつ」や函館~旭川間の普通列車に比べれば短いなあ、と言う感じですが、昨今の鉄道旅行ブームのせいか、そうしたガイド本を持った人たちが乗っていました。

Takikawa

 日本一長い距離を走る割にはキハ40の単行で、およそ本線の列車には見えませんが、現在の北海道ではこれが標準的な姿です。良く見るとワンマン対応の700番台が、いつしか1700番台になっています。エンジンを取替えたようで、キハ40はまだまだ使うぞ、と言うことのようでした。車内も扇風機からバス用のラインクロスファンに交換されています。走り出して見ると、それほど以前より速くなったという感じはありませんでした。

 富良野駅では先行の富良野行きで運転してきた車両を連結して、ここからは2両での運転です。

Furano

 真昼間の乗客の少ない時間だけに、2両にする意味もないように思えますが、どうやらこの列車は、所属の釧路へ入庫させるためのものと言う意味合いもあるようです。後ろに付いた車両もまた1700番台でした。去年と比べると着実に増えているようです。

Yuubari

 富良野を出ると夕張山地の裏側を眺めながら、列車は狩勝峠を目指して登っていきます。山にはまだ雪が残って北海道の遅い春を感じさせてくれます。

Kanayama

 空知川をせき止めて出来た金山湖に近い金山駅です。無人駅ながら、駅舎がしっかり残っているのは、冬場の保線作業などの拠点として使うからなのでしょう。

 駅を出てしばらくすると金山湖を渡ります。

Kanayamako

 やがて、列車は「ぽっぽ屋」で有名になった幾寅駅を通って落合に着きます。幾寅駅はセットが残っており、ロケに使用された「キハ12」の前頭部も置いてあったりするのですが、時間も経ったせいか、駅前には誰もおらず空しい雰囲気でした。

Ochiai

 落合では狩勝峠を越えてきた上り列車と交換しますが、この先の新狩勝信号場で合流する「スーパーおおぞら」を先行させるためすぐには発車しません。またここが空知と十勝の境界という事で、ここ止まりの列車の設定もあります。根室本線を普通列車で旅行する場合には、落合~新得間の時刻をまず決めてから前後の連絡を設定する必要があります。

 落合を出ると新狩勝トンネルを抜けて新得へと下っていきます。この区間は一駅28Kmもありますが、車窓にはいよいよ十勝の大平原が広がります。

Karikachi

 右へ左へと大きなカーブを描きながら山を下っていきます。やがて街が見えてくると新得に到着です。

 列車は十勝の大平原を横断して、帯広に向かいます。根室本線には石勝線経由で貨物列車も運転されていますが、いつの間にかここも機関車はDF200が主役になっていました。

Df200

 この機関車、何となく外国の機関車っぽいデザインで、十勝の大平原には良く似合うように思います。かつての主役DD51は、DF200と同じ色になった更新車が僅かに目に止まった程度でした。

Dd51

 機関車の世界も着実にに変化しています。

 帯広駅ではしばらく停車するので、弁当を買ってきました。これは去年もやったのですが、駅弁を食べるには両手が使えないといけません。普通列車ですから、テーブルもありません。駅弁も今はホームでは売ってなく、高架ホームから地上の改札口へ降りて外へ出なければなりません。

Butadon

 時間内に買ってきて、列車で食べる、というのは結構いいリハビリ訓練になります。馬の目の前にニンジンをぶらさげるようなものでしょうか。去年よりは一連の動作がかなりスムーズになっていることを実感しました。やはり帯広は「豚丼」ですね。

 帯広を出た列車は、引き続き十勝の大平原を走ります。

Tokachi

 誰も乗っていない列車で、こんな風景を眺めていると、心が解放されたような気分になってきます。入院して車椅子に座らされた時には、もう二度と目にすることはないだろうと思った世界です。そして、普通列車ですから、窓を開けて「十勝」を身体全体で実感するのです。

Ikeda

 ところどころ牛がのんびりと草を食んでいたりします。何の変哲もない風景ですが、でも、これぞ北海道、と言う感じです。管理人が気に入っているシーンの一つです。

Makubetsu

 広大な十勝平野を颯爽と走る「スーパーおおぞら」です。列車名の「おおぞら」を実感します。ここ幕別駅は一線スルーで高速化されたので、右側通行での交換になります。

Urahoro

 帯広からの人の流れは、ここ浦幌までで、折り返し列車の設定もあります。この先は釧路管内と言うことで、高校生の流れもまたここで切れるわけです。浦幌を出ると列車は小さな峠を越えて太平洋側へと出ます。原生林に囲まれた常豊信号場で貨物列車と交換します。

Tsunetoyo

 原生林の中を行くDF200というのもなかなか良い感じです。

 列車はやがて太平洋に沿って走りますが、この時期特有の濃い霧に阻まれて白一色の世界になってしまいました。やがて列車は釧路に到着します。到着する頃には霧も晴れて、傾いた西日が列車を照らしました。

Kushiro

 1番のりばに駅の本屋と鉄道管理局の入ったビルがある国鉄時代の典型的な主要駅の趣です。最近では改築も進んで、こうしたスタイルの駅も少なくなってきました。特急列車は必ず1番のりばから発着すると言うのも鉄則ですね。

 こうして8時間1分の日本一の普通列車の旅は終わるのですが、さすがに最初から最後まで乗っている人はいませんでした。滝川で旅行の本を持っていた人はどこへ行ったのでしょうか。

 北海道は列車の本数が少ないので、パターンが固定されてしまいがちですが、定点観測的に細かい変化を観察しながら行くと思わぬ発見もあるものです。例えば・・・。

1775

1742

 1700番台のナンバー、ハイフンがつくのか、つかないのか?とか、結構面白い発見があったりします。後々の模型ネタに使えるようなものもあるかもしれません。実物あっての模型なのですから、実際に見た印象と言うのは模型を楽しむ上でも重要なファクターだと思います。新製品が出たから買う、だけというほど底の浅いものではないのです。実際に見て印象的だったら、古い製品を使う、というのもあるわけですし。

 そして、何よりそうした観察が出来るようになっていた、というのが今回の収穫でもあります。

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2009年4月 6日 (月)

峠の力餅

 奥羽本線は、福島を発車するとすぐに分水嶺の板谷峠にかかります。今では山形新幹線の電車が軽々と越えていきますが、かつては赤岩・板谷・峠・大沢の連続する4つのスイッチバックで山を越えていました。そこを走る機関車も古くはEタンクの4100・4110、戦後間もなく電化された後は、勾配用のEF16、EF64、交流切り替え後はEF71・ED78といった勾配線用の様々な形式が活躍してきました。

 サミットの峠駅は標高624m、ここでは「峠の力餅」というものが売られています。今は山形新幹線の車内にもあるようですが。

C2

 駅弁のような体裁で、ホームの立ち売りも駅弁屋さんスタイル、中学の頃ここを始めて鈍行で通った管理人は、「こんな山の中に駅弁?」と思ったのですが、求めてみると大福餅で、???と思ったものです。

 でも、スイッチバックの連続で越える険しい峠の道中で一休み、と言う風情が気に入っていました。中身の餡子がさっぱりしているのもポイントが高いですね。

 客車の鈍行もスイッチバックも消えて久しいですが、久しぶりにこれを口にすると、ED78やEF71がモーターの音も高らかに峠を越えていたシーンを思い出します。峠を越えれば、山形の純日本的な田舎の景色が広がる奥羽線の旅は、とても魅力的でした。そんな奥羽線も今ではロングシートの通勤電車。旅の楽しみはすっかり失せてしまいました。

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2008年12月 3日 (水)

芝生の併用軌道

 先日、鹿児島に行ったときに見た芝生の併用軌道です。路面電車の軌道は石畳になっていることが多いですが、この芝生の線路は新鮮な感じです。

Utram1

 無機的な街の風景に潤いを与えています。ノンステップ電車の「ユ-トラム」にもバージョン2が登場しています。バージョン1ではいささか狭かった客室部分が3セクションになって、余裕が出来ました。運転台部分の台車が動力台車なのは変わりませんが、真ん中の車体にも動力無しの車輪が付いています。

Utram2

 ヨーロッパのライトレールを思わせるデザインがなかなか良いですね。足を悪くした人にとっては、こんなラクな乗り物は他にありません。環境に配慮した芝生の軌道、誰もが利用しやすいノンステップ電車、すばらしいと思いませんか。

 模型では富山のライトレールが予告されていたと思いますが、こんな人と環境にやさしい街のレイアウトなんていうのも良いですね。

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2008年11月25日 (火)

「夢の超特急」、夜行列車・・・「国鉄の時代」の終わり

 JRになって既に20年以上が経過しました。今まで残っていた国鉄の面影も急速に姿を消しつつあります。今月末には、初代の新幹線として長らく活躍した0系が引退しますし、来年春のダイヤ改正では、引き続き夜行列車の削減などが行われるようです。

01

 東海道新幹線は、東京オリンピックの開かれた1964年の開業ですが、敗戦で全くの焼け野原になった日本が僅か20年足らずのうちに世界一速い鉄道を作り上げたと言うことで、戦後の復興の集大成と言うことも出来ると思います。そして時代は高度成長へと進んでいきます。「夢の超特急」の「夢」は、技術者たちの夢ばかりでなく、日本の発展を願う全ての人々の夢でもあったのでしょう。大きいもの、速いものが大好きな子供たちにも夢を与えていたのは間違いありません。

 一方、国鉄は新幹線の開通あたりを境にして赤字体質に転落、最後は分割民営化で姿を消すことになります。0系がその後マイナーチェンジを繰り返しながら延々と作り続けられたのもそれと無縁ではなかったでしょう。ある意味、同じ時代に登場した103系に通じるものがあります。

103

 103系は当初、山手線用として設計されたものですが、輸送の逼迫もあって、本来の用途とは異なる駅間の長い区間の多い関西地区などにも大量に投入されました。線区の事情に見合った新車がまとまって入るようになるのはJRになってからですね。こちらも、そんな新系列車の台頭で、今後急速に姿を消して行くでしょう。

 夜行列車も、新幹線網の発達で、もはや存在理由は見当たりません。民営になったJRにしてみれば、夜間に張り付けておく要員の人件費、これだけのために残しておかねばならない機関車や客車等等、もう無駄の塊でしかないわけです。

Hayabusa

 九州特有のお椀形のヘッドマークももう見納めになるのでしょうか。

 駅も急速に変化しています。下の写真は山陽本線岡山駅です。

Ok0

 山陽新幹線開通の時からのものですが、近年大幅なリニューアルが行われました。駅の裏側との通り抜けを良くする為に自由通路を設け、駅舎の機能はこの部分の中央にまとめられて橋上駅の形態になっています。

Ok2

 幹線の主要駅というよりは、私鉄のちょっと大きい駅(小田急で言えば相模大野とか・・・)といった風情です。もともときっぷうりばなどがあった部分には、ファーストフード店などが入っています。

Ok1

 幹線の主要駅では、高架化されるケースも目に付きます。

Oita0

 ここは日豊本線の大分駅。県庁所在地の玄関であり、久大本線、豊肥本線の乗換駅でもあります。駅舎と鉄道管理局が一つのビルにまとまった形態は、昭和40年代頃に流行った?スタイルですね。駅によっては、これに「ステーションデパート」なるものが同居しているのも良く見かけたものです。

Oita2 

 駅の構内自体は、汽車の時代と殆ど変わらず、かつての主要駅の面影をとどめています。このスタイルの場合も駅の裏側へ出るには不便ですし、市街地の真ん中に大きな踏切が残ったりすると言うことで、近年は高架化が進んでいます。

Oita_2

既に久大本線などが高架ホームからの発着になっていました。新設されたホームは現在の輸送量にあわせたもので、私鉄の駅を思わせます。

Fuji

 鉄路を彩った長距離列車とともに、こうした貫禄のある主要駅と言うのもまた過去のものになりつつあります。近距離列車から夜行列車まで、さまざまな列車が集う幹線の駅と言うのも、今のうちに記録しておく必要があるのかもしれません。

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2008年11月23日 (日)

昭和の香りを残す中心商店街

 昭和の街の情景を製作するのがちょっと流行っているようで、それに関連する製品もいろいろ出ています。今日は、そんなジオラマ製作のヒントになりそうなものをご紹介したいと思います。

Kata1

 ここは、四国・高松市の中心にある片原町商店街。西日本で多く見かける、大規模なアーケードのある商店街です。近年、地方都市では街外れのバイパス沿いなどに大規模なショッピングセンターなどができて、旧来の中心市街地は寂れる一方ですが、それでもここ高松市の中心街では、兵庫町など他にもいくつかの大規模なアーケード街が存在し、隣の瓦町にかけて、中心商店街としての体裁を維持しています。小規模な店の集合体であり、町の発展とともに歩んできたことを感じさせてくれます。

Kata2

 アーケードの途中には踏切があり、その脇にはことでんの片原町駅があります。中心市街地に電車がお客さんを運んできていたかつての様子を今に伝えています。電車が商店街の風景に自然に溶け込んでいるのが実に良い感じです。

Eki1

 その駅と踏切の部分です。アーケードの外側から見ると、ごちゃごちゃとした中にある駅だということがわかります。

Eki2

 駅舎は隣接するスーパー?と一体になったものですが、出入り口の間口を広く取ってある辺り、かつては相当な数の乗降があったことが偲ばれます。シチュエーション的には、伊豆箱根鉄道駿豆線の三島広小路駅に通じるような感じがしました。

Eki3

 広い駅舎ががらんとした感じになっているのが寂しいですが、この駅の施設自体も、自動改札機を除けば、昭和の面影を実によく残しています。

Densha

 やって来る電車が昭和30年代から40年代のものであるのも、雰囲気を盛り上げてくれています。電車と街が一体となって賑わっていた時代の面影を感じました。

 特別古い、「町並み保存地区」とは違いますが、我々が歩んできた人生の中で、確かにあった、そんなシーンに再会できたような気になれるものがあります。模型で再現するのであれば、商店街や駅の照明などを工夫して、華やか時代を再現してみるのも一興かもしれませんね。

 全国どこへ行っても画一的なロードサイドのSCとは異なり、それぞれの街ごとの特色もあります。商店街探検にはそんな楽しみもあるのです。

 模型というのは、自分の足で歩いて、見て、感じたものを立体で表現するものでもあります。情景にしても、列車にしても。こうして、実際にいろいろ見ながら歩き回れるようになったのを嬉しく思っています。

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2008年10月23日 (木)

変わり行く東京駅八重洲口

 東京駅のリニューアルが進んでいます。丸の内駅舎の復原に注目が集まりますが、所謂「裏駅」である八重洲口もがらりと印象が変わることになっています。既に大丸デパートも新しい建物に移転し、1954年建設の鉄道会館も解体が始まりました。

Yaesu

 その東京駅でこんな張り紙が・・・。

Nagara

 次のダイヤ改正で臨時格下げになるといわれていますが、よっぽど止めたくてしょうがないんですね。上りの到着時刻をいじって東北方面の一番列車に連絡しないようにしたり、指定席区間を拡大したり、下り列車の1日目の区間を長くしたりと、乗客を追い出すのに必死になっているようです。

 東北縦貫線が出来れば、田町の車両基地もなくなって、もう東京駅発着の夜行列車も運転できなくなるでしょう。その東北縦貫線関連、秋葉原の貨物駅跡の電留線も殆ど線路がはがされて、目に見える形で工事が進行しています。東京駅のリニューアル完成の暁には、列車の運行形態もがらりと変わってしまいそうです。

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2008年7月14日 (月)

初めて見たもの、などなど

 旅行の楽しみの一つに、自分の住んでいる地域では見られない列車を見る、ということがありますね。最近ではあまりワクワクするようなものがないという声も良く聞きますが、今なお楽しみの一つであることに違いありません。好きか嫌いかは別にしても、実際に見たり乗ったりすることでそれぞれの列車の雰囲気を掴むことが出来ます。模型の製作では案外重要なことでもあります。

 今回の北海道は、去年半年も病院に押し込まれた後の割にはそれほど目新しいものはありませんでしたが、強いてあげればこんなところでしょうか。

Skamui

 まずはこれ。781系の引退に伴って登場した789系「スーパーカムイ」。全体のデザインは近年の北海道の特急と共通です。側面の雰囲気が、「E233系の構造で特急を作るとこうなります」っぽい雰囲気ですね。

Zoo1

Zoo2

 お次はこれ。今流行の旭山動物園行きの観光特急です。意地悪く考えれば「廃車寸前の車輌で荒稼ぎしてるなあ」と思えなくもないですが、ここまで乗ってきた普通列車の利用状況なども考えれば、「手持ちのものを有効活用した涙ぐましい営業努力」と言えなくもありません。

 札幌駅が効果になった現在、この旭川駅は「汽車の時代」の主要駅のスタイルを今に伝える貴重な存在ですが、裏駅側では高架線の工事がだいぶ進んでいました。よき時代の駅の姿と言うのも今のうちに記録しておく必要がありそうです。

 一方で、目先動きがなさそうで、これどうするんだろう?と思ったものもあります。

183

 石北線の特急「オホーツク」です。札幌~網走の所要時間は長距離バスとさして変わりませんし、途中には勾配区間も散在していますから、もう少しどうにかしてやれば良いのに、と思いました。

Kiroha

 グリーン車も80系から183系になって食堂車がなくなったのに対応して設置された車販準備室が普通席にされて、いつの間にか合造車になっていました。普通席用のクーラーは711系のと同じ形です。こういう中途半端な改造車も最近では製品で出てくるようになりました。これもそのうち出てくるのでしょうか?

 停車時間や乗り換え時間にこうして眺めているだけでも結構いろいろな情報を集めることが出来るものです。

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2008年7月11日 (金)

北の大地 初夏の風景

 今回の北海道行きの目的には、去年半年間も病院に閉じ込められていたので、広々とした風景を眺めて気分を一新したいと言うこともありました。6月ですから、原生花園の花も見ごろでした。本州では梅雨時ですが、梅雨のない北海道は6月が一番絵になるように思いました。草木や空の色など、本州とは違った爽やかな色合いです。レイアウトの参考になりそうなものをいくつか載せてみることにします。

Sharidake

 ここは網走管内斜里町、知床観光の入り口として知られる町です。バックの美しい山は斜里岳です。北海道の市街地は明治以降に開拓によって「人工的」につくられたところが殆どですから、あるところまでは建物があって、それより先は原生林のままと言うところも多いですね。ここもそんな感じです。

Seikomart

 街があればコンビニもあると言うのは北海道も同じです。全国チェーンもありますが、道内ブランドのセイコーマートが小さな街まで網羅しています。しかし、コンビニの配送車が大型トラックというのはすごいですね。さすが、広い北海道!

 さて、釧網本線の網走~知床斜里間は、今となっては、唯一オホーツク海を眺めながら走る鉄路と言うことになりました。斜里から20分くらいで原生花園の駅に着きます。

Genseieki

 観光ガイドやオレンジカードなどにもよく出ていますから、ご存知の方も多いでしょう。「原生花園」というのはその名の通り、基本的には植物の種が勝手に飛んできて花を咲かせているわけですから、花壇のようにきれいに並んで咲いているわけではありません。しかし、よく見るとかなり種類があります。

Gensei

 草むらの中にはっとするような花が咲いていたりします。

Hamanasu

 これはおなじみのハマナス。夏の期間を通じて見られますが、やはり6月は数も多く、花の形もきれいです。

Sukashiyuri

 こちらはエゾスカシユリ。この時期限定と言う感じです。

Kisuge

 こちらは、キスゲ。黄色い花が印象的です。

Kuroyuri

 そしてこちらはクロユリ。開花時期が早いので、何とか見られたという感じでした。

 草むらの色も何となく鮮やかな色なのも北海道ならでは、です。

 ここは釧網本線とオホーツク海の間にある丘のようなところですから、登ってみると向こうにはオホーツクの海が広がっています。

Ohotsuku

 流氷に閉ざされる冬とは全く異なる穏やかな風景です。

 振り返ってみると、これまたいかにも、という風景が広がります。

Mokotoyama

 線路と国道の向こう側は広大な牧場、トーフツ湖、その向こうに浮かぶのは藻琴山です。大きな空がとても印象的です。この近くに町村合併で新しく「大空町」というのが出来ましたが、何だか分かる気がしました。

Bokujyou

 牧場の中には馬がたくさんいて、時々「ヒヒ~ン」という声が聞こえてきます。この写真を見ると重要なことに気がつきます。こんなに広いのに、馬は何故かほとんど固まりになっています。牛にも同じことが言えるのですが、レイアウトでの牛や馬の並べ方の参考になると思います。ついでに、線路に平行する道路、北海道独特の路側帯標識にも注目です。

 大きな空、爽やかな緑、突然歩けなくなってから1年でここまでたどり着くことが出来ました。テレビなどで見るのとは違って、実際にこの中にいるというところに意味があるんだと思いました。それぞれの場所の空気を感じ取ろうとするならば、やはり実際に足を運ぶのが一番ですから。

 オホーツクの広大な景色と爽やかな空気は、頭の中に残っていた去年のもやもやとした入院生活の重い空気を一掃してくれました。

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2008年7月10日 (木)

1日1本の普通列車

 そろそろ「青春18きっぷ」の季節が近づいてきました。最近ではこのきっぷについてのマニュアル本も多く出ていますね。そうした本でよく話題にされるのが石北本線です。旭川とオホーツクを結ぶ幹線ルートには違いありませんが、実態はかなり閑散としたローカル線です。そして、日本海側からオホーツク海側への峠を越える上川~白滝間には普通列車が1日1往復しか運転されていないことでも有名です。殊に下り列車に関しては、旭川~上川間を回送列車として運転するので、下りの場合、石北本線を純粋な各駅停車で通り抜けるのは不可能と言うわけです。このような状態になったのは確か国鉄の分割民営化の頃だったと思います。それまでは、1日に何往復かあったのですが。後にいくら何でも、ということで、特急の空白時間帯に特別快速「きたみ」が設定されました。この列車、当初はキハ54の3両運転でしたが、いつの間にか短くなって、現在ではキハ54の単行になっています。

 さて今回は網走から旭川までこの普通列車に乗りました。網走12:10発遠軽行き4662D→遠軽16:12発旭川行き4626Dということですが、実質的に同じ列車ということになります。

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 この列車は日中の閑散時間帯を走るのですが、2両編成なのは、網走地区で使用した車両を旭川運転所に引き上げる回送列車の性格があるからです。

 遠軽まではおよそ2時間40分、ちょうどお昼ですから、弁当を用意しておきます。駅を出たところにコンビニもありますが、せっかくの列車の旅ですから、やはりここは駅弁に限ります。

Akanimeshi

 やっぱりかにめしがあるので、これにしました。他の駅のものと大体にていますが、例によって微妙に違います。ビールでも飲みながら、と行きたいところですが、現状まだ足元は完全ではありませんから、アルコールは宿に着いてからということで、列車ではお茶にしておきます。

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 何しろ北海道ではホームが低く、ご覧の通り列車のステップよりさらに1段低いのが当たり前ですから、列車の乗り降りにも十分な注意が必要です。杖をついたり装具を使用していたりすれば乗り降りだけでもかなり大変なはずで、およそバリアフリーには縁がないという感じです。

 さて、網走駅を発車した列車は、網走刑務所の辺りで大きく左に曲がって内陸へ向かっていきます。右手には大きく網走湖が広がります。

Abashiriko

 やがて女満別・美幌を経ておよそ1時間10分でオホーツク最大の都市、北見に到着します。が、驚いたのはオホーツク唯一の本格的なデパートだったきたみ東急百貨店が潰れていたこと。

Kitamitokyu

 東急インはまだ健在のようでしたが、向かい側に東横インが出来ていたのがなんともいえない感じでした。平成の大不況で釧路も北見も見る影もない状態になってしまったようです。

 さて、北見から遠軽までの区間の見所は、SL時代に撮影の名所として有名だった常紋峠を越える区間でしょう。今では常紋信号場も使用されなくなっていますが、スイッチバックの線路やスノーシェッドはそのまま残されています。

Kanehana

 ダイヤ上はここ金華駅から次の生田原まで15Kmの区間行き違いが出来ないわけですが、列車の本数も少ないので特に問題はないのでしょう。交換の下り列車は珍しく3両編成でした。後2両のキハ54には小学生の遠足と思しき団体が乗っていました。多客の時にはこうやって対応するんですね。でもDMVが実用化されたらどうするんでしょうか?常紋峠を越えた最初の駅と言うことで、熊でも出そうな感じの駅です。

 線路の脇には、ここでもルピナス♪ルピナス♪でした。

Lupinus

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 「上りフジ」などとも呼ばれる北米原産のマメ科の植物だそうですが、紫色のバージョンのものなど、北海道のイメージに合っているような感じがします。

 常紋峠をこえて列車はやがて遠軽に到着します。ちなみに「常紋」とは常呂郡と紋別郡の意味だそうです。

Engaru

 遠軽駅では列車の進行方向が変わりますが、これは、札幌方面から網走へのルートがかつての名寄本線のルートを基準に設定されたことの名残とのことです。なるほど、名寄から興部・紋別を経由すれば、遠回りなものの、中央の深い山をぶち抜かなくてもすむわけで、鉄道が敷設され始めた時代の技術から行けば妥当な考え方だったことが分かります。

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 そんなわけで、遠軽はかつて鉄道の要衝として栄えたわけですが、今も残る木造の立派な跨線橋やターンテーブルなどにその時代の面影を見ることが出来ます。

Asahikawayuki

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 列車はここで1時間20分ほど停車して、列車番号を変え、いよいよ1日1本の旭川行きとなって発車します。昔は、このような場合、列車の中で待たせてくれたのですが、今は一旦列車から出されてしまいます。停車している間に札幌行きの「オホーツク」が来ますが、それに合わせて駅弁売りが来るので、特急で売ってしまう前に駅の玄関で待ち構えて弁当を捕獲します。駅の売店には高校生の喜びそうな菓子パンの類しかありませんし、ここで弁当を買い損なうと旭川までの4時間弱、食べ物を買える駅がないのです。

Bouzu

 特急の方は、最近Nゲージの模型が出た、いわゆる「坊主」が先頭に出ていました。道内でも最古参の特急車両と言うことで、そう遠くないうちに新しい車両に代わるのでしょう。

 遠軽駅で売っている弁当はやはり「かにめし」。内陸なのになぜ?という感じですが、ここからオホーツク海岸の湧別まではバスで1時間弱の距離なので、まあ、いいことにしましょう。

Ekanimeshi

 これもまた似たようなパターンながら、卵が炒り卵風なのと紅しょうががユニークと言えばユニークな感じ。

 やがて、列車は旭川にむけて発車します。遠軽への高校生の通学エリアは旧白滝村(現遠軽町)の白滝くらいまでであとは石北峠を越えた上川まで車内はほぼ無人になります。Kamishirataki

 しかし、この日はここで降りた旅行者風の人がいました。1日上下1本の列車しか止まらないことであまりにも有名な駅です。駅前にタクシーがあるわけでもなく、次に止まる列車は明日早朝までありません。山の中ですから、寝袋で寝たとして、熊に食われそうなシチュエーションです。他人事ながらちょっと気になりました。この先、上川までにあった駅は、全て廃止、もしくは信号場に降格され34Kmの間駅がないことになりました。非力な国鉄型気動車の峠越えと言うことも合って、一駅走るのに1時間8分を要します。もっとも頂上の石北トンネルを抜けたところにある上越信号場では、下り「オホーツク」との交換で20分ほどの停車はあるのですが。

Kamikoshi

 かつては駅として使用されていた上越(かみこし)も信号場になって久しく、駅前にあった集落もとっくに消滅したそうです。このあたり、線路の点検で見回るときには必ずハンターも一緒なのだそうです。やっぱり出るんですね。

 「オホーツク」と交換した列車は上川へと下っていきます。上川では35分停車して18:51の発車、これが上川からの上り最終列車ということで、部活を終えた高校生が乗り込んできて、久しぶりに車内が活気付きます。終着旭川には20:05の到着、7時間55分に及ぶ石北本線の旅が終わりました。

 網走から旭川まで全区間ボックス席を独り占めに出来ましたが、「青春18きっぷ」の時期になればいくら何でももう少し乗るんでしょうね。

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2008年7月 1日 (火)

日本一の普通列車

 最近はちょっとした「鉄道ブーム」ということで、テレビや雑誌などでも鉄道の旅がよく取り上げられます。「快速運転を行わない純粋な鈍行で一番長いのは?」などといった話題も良く取り上げられます。根室本線滝川9:38発の釧路行きは、途中で列車番号が変わることもなく、一部通過駅はあるものの、滝川~釧路間308.4kmを実に8時間掛けて運転します。管理人が学生の頃は、函館発旭川行き(倶知安経由)とか小樽発釧路行き「からまつ」などもっと長距離を走る列車もありましたが、国鉄の分割民営化に際して、ローカル輸送についてはフリークェントサービスが重要視されるようになって、全国的に長距離の普通列車は整理されてしまいました。しかし、広大な台地で人口が希薄な北海道ではそんなにたくさんの車両は要らず、合理化のため車両基地は集約されていますから、そこへの出入庫を兼ねての列車として長距離を運転する列車が残ることになりました。石北本線網走12:10発遠軽行きなども、遠軽からは16:12発、1日1本の旭川行きとなって旭川運転所に帰っていきます。下りの送り込みも上川~白滝間にあるたった1本だけの普通列車がそれなのですが、こちらは旭川~上川間を回送列車として運転するので乗車することは出来ません。

 さて今回は病院に半年も閉じ込められた後なので、うまいものを食べる!のも目的の一つでした。ゆっくり列車に乗って模型ネタを集めること、列車の旅をストレスなくこなせるかを確かめることなど、やることは一杯ありました。

 札幌へ立ち寄った後はいよいよ道東へ向かいます。札幌6:02発の旭川行き普通列車はキハ40の3両編成ですが、一番後ろの車は回送扱いです。滝川以遠がワンマン運転になるからなのでしょう。この列車も函館本線旭川地区の区間列車に使うキハ40の送り込みという性格を持っているようです。

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 朝の時間帯ですので、この後の列車も、今はすっかり陰の薄くなった711系などが使われているのを見ることが出来ました。

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 さて、滝川からは件の釧路行き2429D列車に乗り込みます。昔は札幌と道東を結ぶ大幹線でしたが、石勝線が出来てからは優等列車も通らず、すっかりローカル線と言う風情になってしまいました。列車は駅本屋の前の1番のりばから発車します。

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 キハ40単行のワンマン列車です。このあたりではエンジンを交換した1700番台がだいぶ増えてきているようでした。まだまだ使うと言うことなのでしょうね。よく観察すると、最近の道内ではデフォルトのホイッスルが付き、「ワンマン」の表示が黒文字に変わっています。助士席下の蓋が撤去されて凹んだ状態になっているのも最近の特徴ですが、これをやるとマスキングで思い切り苦労しそうです。道内のキハ40は全て1エンド側(動力台車側)に幌が付き、こちらが、札幌を基準にして函館向きになっています。なるほど、釧路から網走を経由して旭川に戻っても向きは変わりませんし、他は全部袋小路ですから問題ないわけです。石北線については遠軽駅の構造を考えれば納得できますね。千歳線には気動車の普通列車の設定はありませんし、苫小牧から函館線へは室蘭線志文経由を基本に考えることになります。

 列車は9:38定時で発車しました。ワンマン列車ですから、発車ベルもなく、長距離列車の割にはあっけないスタートです。

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 列車はかつて炭鉱で栄えた赤平・芦別を通り、空知川を遡るように富良野へと向かいます。富良野駅では先に快速富良野行きとして運転してきた車両を連結して、ここからは2両運転です。

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 向こう側に止まっているのは富良野線の列車です。ラベンダー見物は旭川から富良野線で行くのがデフォルトのようです。21分停車の後、列車は石狩・十勝の国境、狩勝峠へと向かいます。「ぽっぽ屋」のロケをやったことでおなじみの幾寅駅を過ぎて新狩勝トンネル西口の落合駅に到着します。ここでは上り列車と、この先の信号場で合流する石勝線の特急列車を待って15分ほど止まります。

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 かつては主要幹線だっただけに、広々とした構内が印象的です。

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 北海道では今もなお、路面電車の停留場よろしく上下の列車がななめに停車する駅も多く残っています。そのために、駅の敷地は2列車分の長さがあるところも珍しくありません。そして、このトタン屋根の駅舎ですね。

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 駅舎もまた、ホームの上にゆったりと建っている感じなのがいかにも北海道という感じです。模型で作るのであれば建物の周りに例のルピナスでも生やしてみるのも良さそうです。周りの建物もやはり瓦屋根のものはありませんね。列車はこの駅を出ると程なく石勝線と合流し、新狩勝トンネルを抜けて新得へと下ります。車窓に広がる十勝平野の雄大な眺めは、かつて篠ノ井線の姨捨、肥薩線の矢岳~真幸間とともに「日本三台車窓」のひとつとされていましたが、新線となった現在でもなおその命脈は絶えていないようです。新得を出ると列車はおよそ1時間で十勝平野の中心地、帯広に到着します。時間は早4時間を経過して、そろそろ昼食にしたいところ。帯広駅では先に池田行きの列車を出して、こちらは31分間の停車です。

 帯広と言えばご当地グルメとして「豚丼」が有名ですが、駅弁にもばっちり存在します。

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 一時期大手の牛丼チェーンが牛肉の代わりにやったものとはかなり趣が異なります。容器の下にある紐を引くと湯気が出ていつでもアツアツが食べられるようになっています。

 さて、十勝平野の中心、帯広には石勝線を経由して貨物列車も入ってきます。

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 さすがに貨車はコキ100系ではなく、コキ50000が主流ですが、機関車の方はDD51の更新機でさえ脇役といった風情で、世代交代が進んでいることを感じさせます。

  およそ30分の停車の後、列車は再び走り出します。帯広の周辺の人の流れは、池田、浦幌あたりが区切りになっているようで、浦幌より遠く釧路方面との行き来は特急列車以外は殆どありません。

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 近郊区間といっても乗る人は限られているのでしょう。ホームも山の中の駅と同じくらい低いものです。

 道内唯一の第3セクター鉄道だったふるさと銀河線も既になく、乗換駅だった池田駅もがらんとしていました。

Ikeda

 列車は引き続き広大な十勝平野を走っていきます。これといって目を引くようなものがあるわけではないのですが、スケールの大きさに圧倒されて見ていて飽きません。

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 浦幌を過ぎると列車の中はほぼ空っぽ、文字通り釧路への回送列車という風情になります。この後乗ってくるのは釧路近辺の高校生だけになります。

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 これは1700番台の車内ですが、天井の扇風機がバス用のラインデリア?に変わっているのが目に付きます。山間を抜けると列車は太平洋を間近に見ながら走るのですが、これだけ広々していれば車窓もゆったりと楽しめます。

 浦幌を過ぎて、常豊信号場で貨物列車との交換がありました。

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 いつの間にかDF200、釧路まで行くようになっていたんですね。人家一軒ない風景に外国の機関車のようなデザインが良く似合います。

 この先釧路まで、街らしい街といえば白糠くらいで、車窓も最果てを目指すイメージが強くなってきます。

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 太平洋岸の尺別駅では上り列車と交換です。海沿いの殺風景な駅と、空の青さのコントラストが印象的です。白糠を過ぎると、今の時期、この地方に特有の霧が出てきました。窓の外が一面乳白色の霧に包まれる光景は幻想的でさえあります。

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 大楽毛で高校生を乗せた日本一の普通列車は定刻17:38に釧路駅に到着しました。

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 かつて道東最大の都市として賑わった釧路にその面影はありませんでした。駅舎の地下にあった「ステーションデパート」も閉店し、駅前の元デパートも取り壊されて、やたらとホテルが増えていました。

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 かつて神奈中バスの中古車で賑わったバスターミナルもがらんとして、時折関西から来たと思われる58MCが通るくらいになっていました。

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 今からおよそ30年前、上野から普通列車を乗り継いで夜行「からまつ」で釧路に着こうというときには、白糠あたりから客車の中は満員になっていたことを思うと、この寂れぶりは痛く心に突き刺さるようなものがありました。

 せいぜいこんなものでも食べて気を取り直して次に進むことにしました。

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 駅前の和商市場名物の「勝手丼」です。いつも釧路へ行くと買う蟹屋さんまで勝手丼を始めていたので、今回は「毛がにスペシャル」です。

 

 

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2008年6月25日 (水)

北の大動脈の今

 現在のJR北海道の列車体系は札幌あるいは新千歳空港を中心にしたものになっていますが、国鉄時代には東京を起点に考えて、道内は函館を始発駅として各方面への列車が設定されていました。優等列車は、連絡船を介して本州方面の優等列車との連絡がとられていました。しかし、本州対北海道は圧倒的に航空機と言うことで、国鉄も1980年代前半には札幌中心の考え方に変わっていきました。道南方面も道内各都市の連絡を考えると言うことで、札幌~函館間の優等列車も苫小牧・東室蘭を経由する現在のルートのみとなって、かつてC62重連で沸いた所謂「山線」から優等列車は姿を消すことになりました。普通列車についても、連絡船から継承した郵便車や荷物車を連結した函館~旭川などの長距離列車が運転されていたのですが、いつの間にか姿を消しています。

 北海道の列車は人気があると見えて各ゲージで様々な車種が製品化されていますが、それらを通常のレイアウトに載せてもあまり北海道らしく見えません。なぜなのでしょうか。

 列車に乗って車窓を眺めていると、まずはその雄大な風景に目を奪われますが、駅などの鉄道施設周りも良く見ると本州とはかなり様子が違っています。

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 これは、函館から1時間足らずで到着する大沼駅。北海道の木造建築にはまず瓦葺のものがありませんが、これは駅舎にもいえます。そして、屋根が本州の木造駅舎より深いのも特徴です。駅構内の配線も四国あたりとは正反対で、実にゆったりとしたものになっています。ホームは列車のステップよりもさらに一段低いいわゆる「汽車ホーム」のままです。

 主要駅など駅の規模に比較してとてつもなく構内が広いと言うことも特徴ですね。

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 これは長万部駅の構内の様子です。駅の真ん中辺りにある跨線橋から見たところですから、当然後ろ側にももう半分あるわけです。ここは小樽方面と東室蘭方面の分岐点ですから、かつては構内に客車や貨車がたくさん止まっていたのですが、単行ワンマン運転が主流になった現在では構内にいる車両はごく僅かで、がらんとした雰囲気が一層強調されています。

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 駅構内で見かけるのはキハ40やキハ150ですが、今では天下の函館本線も普通列車はほとんど1両運転です。かつてC62重連の急行「ニセコ」が走った線路を今は最果てのローカル線よろしくキハ150の単行ワンマン列車が走っています。

 しかし、このキハ150、函館本線用のものは冷房車ですが、室蘭本線のものは非冷房です。函館本線の長万部~小樽間に優等列車がないからなのでしょうか。気候的にはそれほど差がないように思うのですが。

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 ここ長万部は幹線の分岐点と言うことで、かつては主な優等列車が皆停車していました。列車が到着すると、名物の「かにめし」を売る立ち売りの声が響いていたものです。現在は特急列車では予約で車内で購入することが出来ますが、普通列車の場合には乗り換え時間に駅正面の道路の向こう側にある直売所に行かなければなりません。「駅弁」なのに購入する人の主流は自動車なのですね。かつて駅構内にあった弁当売店もいつの間にか消滅しています。

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 お弁当そのものは昔と変わりませんが、以前は花咲ガニのように真っ赤だった掛け紙のカニの絵がリアルな色合いに、立ち売りをやっていた子会社?の「長万部駅構内立売」の社名が消えています。シンプルですが、それだけに何度食べてもおいしいですね。

 長万部の駅弁と言えばもうひとつ、「もりそば」がありますが、こちらも駅前に健在でした。

 さて、長万部から小樽へ行く列車3時間に1本、昔C62重連が奮闘した山また山の線路を走っていきます。

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 しかし、今はもうC62の撮影で名をはせた上目名駅はなく、他の駅も殆どが無人になっています。地下鉄のような駅ナンバリングが興ざめといった感じです。

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 こちらは銀山駅。どこかの支線の駅と言う風情ですが、長い行き違い線が本線であることを主張しているようです。

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 長万部から先も倶知安で胆振線、小沢で岩内線など、かつては支線もたくさんあったのですが、今では桑園で分かれる札沼線までありません。

 ホームが舗装されていない駅が多いですが、6月の北海道は花の季節、ホームの上が見事なお花畑になっている駅も少なくありません。特に6月は白、橙、紫など、様々な色の花が咲いて実にカラフルです。これもまた本州には見られない光景でしょう。ホームや線路でよく目にするのはこれです。

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 ルピナスという花で、道内全域で見かけます。他に白やピンクのバージョンもあります。本州ではあまり見ませんが、どうもこの植物、暑さに弱いもののようです。ホームや線路の中にカラフルな花を配置するのも手っ取り早く北海道らしさを表現する一つの方法かもしれません。

 小樽まで来ると電化区間に入りますので、電車に乗り換えになります。ロングシートの731系が主力ですが、721系の快速「エアポート」も30分後とに運転されています。小樽から札幌までは40分弱、函館から札幌までもかつては直通の普通列車で10時間かかっていたものが、今は8時間ほどです。

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 北海道らしさを演出している小物を探しながらの列車の旅もなかなか面白いと思います。

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2008年6月24日 (火)

変わり行く青函間輸送

 青函トンネルが出来て早20年が経過しました。青函連絡船の後を受けて開通した津軽海峡線もだいぶ変化が出てきました。青函トンネルが開通したのは1988年、この年には瀬戸大橋線も開通して文字通り全国の鉄路がつながりました。国鉄の分割民営化の翌年と言うのがいかにも皮肉な感じではありましたが。

 青函トンネルに合わせて用意された列車は、国鉄の懐事情を反映して、特急から機関車に至るまで中古品を改造したものばかりでした。「豪華寝台特急」の触れ込みで登場した「北斗星」は、「ゆうづる」などで使用していた24系客車を改造したものでしたし、食堂車に至っては、既に用無しになって廃車寸前だった485系のサシを改造したものでした。快速「海峡」は、当時気動車化の進展などで早くも余剰になっていた50系客車を改造したものでした。機関車もED79はED75の700番台の改造ですが、中でも重連用の100番台は片側の運転台のみが本線対応と言う徹底したコスト切り詰めが図られていました。

 あれから20年、青函間の旅客輸送は基本的に特急列車のみになり、新造車も投入されました。貨物の方も新型EH500が大量に投入され、東北、あるいは関東地区までの直通運転が行われるようになりました。開通当初とはかなり様相が変わってきましたが、さらにこの後2011年の東北新幹線新青森開業、2015年の北海道新幹線新函館開業によって、またさらに様相が変化しそうな情勢です。

 新幹線の駅は現在の青森駅、函館駅は通らないことになっています。連絡船がなくなってからすっかりさびしくなった現在の様子です。

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 上野方の跨線橋から見たところです。以前は北側に連絡船待合室への跨線橋があってさらにその右側が桟橋になっていてホームの上からでも連絡船の姿を見ることが出来ました。かつては24時間貨車の積み下ろしで賑わっていた構内もがらんとしてすっかり寂しくなりました。

 青森駅の脇には青函連絡船八甲田丸が保存されています。

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 今からちょうど30年前の夏、管理人が初めて北海道へ亘った時に乗った船です。あの時は山形に立ち寄った後奥羽線をひたすら鈍行で下って、夜行の連絡船に乗り継ぎました。0:10と0:30の夜行便は上野からの最終「はつかり」や大阪からの「白鳥」に連絡して北海道連絡の重責を担っていました。

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 これは「可動橋」といって、潮の干満で常に変化する車両甲板上のレールと地上のレールを合体させるものです。ここに重い機関車が入らないようにするために、青森や函館の構内では控車「ヒ」という独特な貨車が多数活躍していました。

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 その控車が八甲田丸の車両甲板に保存されていました。北海道へ向かう貨車との間にこれを何両も連結して機関車が忙しく入れ換えをやっていた光景を思い出します。

 車両甲板にはもう一つ興味深いものがありました。

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 貨車の他に郵便車や荷物車の航送も日常的に行われていました。以前宗谷本線で乗った旭川~稚内間の普通列車は客車2両に郵便車と荷物車が各1両という編成でしたが、郵便車と荷物車は本州の配置区名が書かれていて、はるばる連絡船を経てやってきていたと言うことがわかりました。航送するものには種別票差しにその旨を書いた表示が入れてありました。

 客車の保存車というのはなかなかないわけですが、この展示の仕方だと、蒸気暖房管の取り回し具合を見るのにはお誂えです。しかし、模型ではケイディーカプラーにするとちょうどトリップピンが干渉しそうな位置です。どうせやるのならば蒸気ホースもつけたいところですが、さあこれは困ったことになりました。

 そんなこんなで、30年前を振り返ったり、模型ネタを集めたりしてから「スーパー白鳥」で函館に向かいました。実は電車で北海道へ渡るのはこれが初めてです。今までは快速「海峡」や「北斗星」ということで客車でしか通ったことがありませんでした。さすがに電車特急は速いですね。最高速度140Km/hということで、青函トンネルを30分くらいで通り抜けました。新幹線が出来れば15分くらいになるそうです。

 ホームで列車を待っていると、向こう側のホームにこんなのが入ってきました。

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 東北本線全線電化が完成して、電車特急華やかなりし頃に上野~青森間の主力として昼夜を分かたずに大活躍をした583系です。今はもう波動用ということで、食堂車もグリーン車もありませんが、この場所での再会ということで、何だかタイムスリップしたような気分になりました。よく見ると貫通ドアは埋められていますし、洗面所の窓もなくなっているなど、かなり手が入れられていますが、まだしばらくは残ると言うことなのでしょうか。

 さて、海を挟んだ反対側の函館駅も、何年か前に改築されて、昔の面影はありません。

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 駅構内の配線もだいぶ整理されて、こちらも連絡船時代に忙しく入れ換え作業が行われていた頃とはだいぶ様子が変わっていました。

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 もう「機回し」をやる必要もないのであっさり行き止まり式になっています。かつての面影を感じられるのは、緩やかにカーブしているホームくらいでしょう。

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  かつては連絡船から引き継いだ郵便車や荷物車も連結して堂々たる編成だった大動脈函館本線の普通列車も今や単行ワンマンが主流で、朝夕の混雑時間に一部が2両編成になる程度です。この列車も朝の通勤列車として2両で函館に到着し、1両切り離しの後、長万部行きとして折り返します。こんな調子ですから、新幹線がさらに札幌まで延びようと言う時には、在来線をどうするのか?というのがまた問題になってきそうです。

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やはり客車の旅・・・

 退院後初の遠出となった今回の北海道行きも無事に終わりました。去年は西日本方面から戻ってすぐに倒れて入院と言うことになったわけですので東北・北海道地区の様子は2年近く見ていなかったことになります。

 今年春のダイヤ改正では2015年の北海道新幹線新函館開業を睨んだ寝台特急列車の整理なども行われました。客車の寝台特急については車両の老朽化やコスト削減などもあって、そう遠くないうちに全廃されそうな風向きです。JRになって20年、いよいよ国鉄型の機関車も終焉を迎えつつあるようですが、今回利用した「あけぼの」も田端区のいわゆる「星ガマ」になっていました。

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 効率化とコスト削減の流れの中で、JRの客車列車は数えるほどになってしまいましたが、北への旅はやはり上野駅の地平ホームから客車に乗って行きたいものです。

 今は寝台特急くらいになってしまいましたが、尾久から推進運転で入線してくる列車を見ていると否が応でも旅の気分が盛り上がってきます。「とーさんばん、回送2021列車接近」の放送とともに列車が入ってきます。

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 標識が白色LEDになっていますが、最後部に見張りが立ってやってくるのは昔と変わりません。かつてはこの時間になると各地へ向かう夜行客車急行が多数運転されていました。最後部の車両も郵便車、荷物車など、列車によって様々でしたし、ホームの上を乗客を掻き分けるようにしながらターレットが忙しく走り回っていたことを思い出される方も多いかと思います。今はもうそんな活気も感じられなくなってしまいましたが、こうした客車の入線シーンがかすかにそんな時代の面影を伝えているようです。

 いつしか、上野駅の行き先案内に「青森」が表示されるのもこの列車だけになりました。かつては「はつかり」「はくつる」「ゆうづる」「八甲田」「十和田」「津軽」など、青森行きの列車はたくさん出ていたのですが、2011年に東北新幹線が新青森まで延びれば、青森行きの列車もついに全滅と言うことになるのでしょうか。

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 新幹線は2015年には津軽海峡を越えて新函館へと到達します。その頃には恐らく札幌行きの寝台特急も廃止になるのかもしれません。今回、青函トンネルの新幹線工事を理由に「北斗星」も1本になりました。列車の編成も北海道と東日本の車両が一緒に連結されていますが、これが一時的なものでないことは、外されたロイヤルやツインデラックス、食堂車などがボロボロの状態で釧路運両に運び込まれているのを目にしましたから、ほぼ間違いないと思います。恐らくあそこで解体されるのでしょう。

 さて、「あけぼの」の旅は、上越線・羽越線を経由して青森まで12時間を要します。この列車は北海道連絡ではなく、山形県庄内地方や秋田県内への乗客をターゲットにしているのです。観光列車としての「カシオペア」「北斗星」とは大きく性格が異なり、昔の夜行急行列車に近いものがあります。

 朝7時前に到着する秋田駅ではこんなお弁当を売っていました。

Hata1

Hata2

 秋田名物のハタハタを使ったものですが、観光列車の食堂車とは違って田舎の駅弁ならではの素朴な味わいがあります。今はどこの駅にも「ニューデイズ」があったり、「O-Bento」のようなものが売られたりしていて、列車での食事も画一化している感は否めませんが、こうした昔ながらの各地の名産を取り入れた駅弁に出会えると列車の旅の気分も一層盛り上がってくるというものです。

 ロングレールの少ない線路、ジョイントを刻む音を聞きながら名物駅弁を味わうと言うことも最近ではすっかりなくなってしまいました。地味なローカル寝台特急というイメージの「あけぼの」の魅力はこんなところにあるのかもしれません。かつての客車鈍行の旅にも通じるものがあるように感じました。

 

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2008年2月14日 (木)

青函トンネル20周年

 来月13日で青函トンネル開通20周年になります。国鉄の分割民営化から約1年後に青函トンネルと瀬戸大橋線が開通して4島がレールで結ばれるという皮肉なことになったわけですが、あれからもう20年もたったのですね。

http://www.jrhokkaido.co.jp/new/seikan20th/index.html

 新幹線の工事も始まって、取り立てて目立ったイベントもないみたいです。

 北の大地北海道は、鉄道ファンだけでなく、旅行好きの人たちを惹きつけて放さない魅力を持っています。北海道へのアプローチは、東京からですと飛行機が殆どですが、かつては上野から青函連絡船を介して北海道方面へ連絡する列車が多数運転されていました。北海道全域の均一周遊券を利用する場合、青森まで夜行の急行列車自由席を利用すれば、特に料金を出さなくても北海道全域の旅行が出来たものです。

 青函連絡船は北の大地へのアプローチとして特別な意味を持っていたように思います。鉄路がつながっていない北の大地へは船に乗るしかない、ということで。列車が青森駅に進入する時に、右手に連絡船の姿が見えました。駅の構内にはたくさんの貨車が置かれていて、入れ替えの機関車が忙しく動き回っていました。重い機関車が船内に入らないようにするための控車「ヒ」というのが珍しく、この光景を目にすると、否が応でも北の大地への期待が盛り上がってきました。

 青森駅では出口と反対の跨線橋を渡ると連絡船待合室があって、出航までのひと時を「海峡ラーメン」などを食べながら過ごしました。

 管理人はあの当時、北海道行きは必ず普通列車だったので、夜行便に乗ることが多く、遅くまで開いていたこの待合室の飲食店にはずいぶんお世話になりました。高校生の頃は、鈍行の旅も、この夜行便に乗れば早朝の函館から山線経由の旭川行きの連絡があって、夕方前には札幌にたどり着くことが出来、さらに小樽なり札幌で夜になるまで大休止を取れば釧路行きの夜行鈍行に連絡して、道東方面へも足を伸ばすことが出来ました。「青春18きっぷ」などまだ発売されていない時代ですから、安上がり旅行を目指す人々は道内も周遊券で夜行急行というのがセオリーでしたから、これらの長距離鈍行も札幌圏以外はがらがらで、ゆったりと旅行できたものです。旭川行きの普通列車は函館から札幌までおよそ10時間を要していましたが、これが「北海道時間」なんだな、と勝手に解釈していました。

 高校生の頃に、初めて渡道した時は、初めての連絡船ということで、一晩中起きていたので、函館に着いて待合室のベンチで横になったらその旭川行きに乗り損なってしまい、長万部から東室蘭経由で札幌に行きました。旭川行きが砂原線経由だったのに対して、あとの長万部行きは大沼公園回りだったので、駒ケ岳と大沼公園の絵に描いたような風景に出会うことが出来て、とても感激したことを思い出します。砂原経由で見る駒ケ岳は、裏磐梯と同じでとても荒々しいのですが、大沼公園回りだと駒ケ岳駅付近まで間近に美しい姿を見ることが出来ます。広い駅の構内といい、鉄道風景もまた内地のそれとは全く違うものがありました。

 連絡船は、そんな別世界に連れて行ってくれる乗り物だったのです。最初に乗った八甲田丸、最後に乗った摩周丸とも今もゆかりの港で保存されているのを嬉しく思います。

 今度の改正では、「北斗星」も新幹線工事がらみで減便ということで、もう北海道へ列車で行く楽しみはなくなってしまいそうです。

Seikan

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2007年11月27日 (火)

懐かしい「汽車弁当」

 熊本でアオガエルなどを見た後は、肥薩線で人吉へと向かいました。純米焼酎の「球磨焼酎」の本場は人吉を中心とした球磨地方です。球磨盆地の米と球磨川のきれいな水から生まれると言う事のようで、この地方で作られる米焼酎だけでも100種類以上あるとか。こういうものはやはり本場へ足を向けて楽しむのが一番ですね。

Kumagawa

 八代を発車すると列車は山間を縫う球磨川に沿って一路人吉へと向かいます。今は高速道路が出来て、熊本の中心から人吉までは来るまで1時間くらいで行けるようになりました。肥薩線の中でも乗客の多かった八代口も近年は乗客がめっきり減って今では普通列車の殆どが単行運転になっています。

 人吉から吉松の間は、有名な大畑のループ線を含む山越えの難所で、SL時代には混合列車が運転されていた事からもわかるように、もともと人の往来も少なかったのですが、景色が非常に良いので最近では指定席の観光列車が運転されています。

Okoba

 大畑駅はループ線の途中にスイッチバックがある非常に珍しい形態の駅ですし、頂上の矢岳トンネルを出ると広がる霧島連山の風景は「日本の3大車窓」の一つと言われています。

Kirishima

 観光列車の終点吉松駅は、肥薩線と吉都線の分岐点であると同時に、矢岳越えの鹿児島県側の拠点でもあり、鉄道の町として開けたところです。今では機関区もなくなり、すっかり寂れた感じですが、ここではこの町がかつて鉄道で栄えていた面影を残すものがいくつか見られます。

Baiten2

 これはホームにある売店です。JRのグループ会社によるキヨスクではなく、地元の駅弁屋さんによるものです。以前は大きな駅によくあったパターンですが、それほど大きくないこの駅にあるというのは、やはりここがかつて鉄道の要衝だったからなのでしょう。今ではまず見かけない古風な木造の売店です。よき時代の鉄道シーンに欠かせない小物の一つですので、いろいろな角度から写してみました。

Baiten1_2

「鉄道構内営業」という大それた社名がなかなかいい味を出しています。しかし良く見ると左横の看板には「吉松駅構内営業」とあり、弁当の掛け紙には「吉松鉄道構内営業」とあり、どれが本当の名前だかわかりません。

Baiten3

Baiten4

Baiten5

 売店で売っているのは飲料やお菓子で、「週刊誌」と書かれた棚もスナック菓子に占領されていました。ペンキで書かれたキャッチフレーズと全体が適度に枯れた色合いで、とてもいい感じでした。

 そして、お弁当屋さんの直営ということですから、当然、こういうのも残っています。

Bentouuri

 「え~、ベントォ~にビ~ル!」今ではすっかり見なくなった立ち売りです。 かつては主な駅では必ず見られたものですが、今は「駅弁」と言っても殆ど売店で買うスタイルになってしまいましたね。

 客車の長距離鈍行が健在だった頃には、停車時間のある大きな駅に入ると一斉に駅弁売りが列車に集まってきたものです。一つの駅に何社か入っていることも珍しくありませんでした。駅弁は時刻表の欄外に紹介がありますが、時として季節限定の意外なものに出会えたりして、結構楽しめたものです。

 折り返しの観光列車には団体さんなども乗っていて盛況でしたが、みんなどこかでコンビニ弁当みたいなのを用意していて、駅弁屋さんから買っている人はいませんでした。時代が変わってしまったからなのでしょう。

 こちらは、ここから吉都線で都城へ出て、日豊線で大分を経て帰路につくわけですが、お昼前ということもあって、掛け声に誘われて弁当とビールを求めました。

Bentou1

Bentou2

 弁当の種類としては幕の内だけなのですが、これがまた昔よくあったパターンでとても懐かしく思いました。幕の内の場合、特徴が出しにくい事もあってか、掛け紙にはその駅の周辺の案内などがデザインされているものが良く有りましたが、ここはまさにそのパターンでした。かつて、初めて通る駅などでは興味津々で眺めていた事などを思い出しました。

 今は、駅の売店さえもコンビニスタイルになり、列車も幹線の普通列車でさえ合理化でロングシートのワンマン電車になって、弁当を通じて見知らぬ土地を知るということもなくなってしまいました。

 よき時代の汽車の旅を盛り上げてくれたものが、こうして今も残っているのを見て嬉しく思いました。

 最初の目的は静岡ホビーショウでしたが、何だかとんでもないところまで来てしまいました。都城からは宮崎、延岡を通って大分まで日豊線に乗りました。

Ichitana

 途中の宗太郎は、青井岳とともにかつてSLの撮影名所として知られたところですね。宗太郎を行く普通列車は1日3往復ですが、最後まで残っていた475系も717系に置き換えられて消滅していました。

 JRになってもう20年たったんだなということを感じたものが多かったように思います。

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2007年11月25日 (日)

流れ流れて、熊本へ

 福岡で用事を済ませて、熊本へと進みました。ちょっと趣を変えて、福岡の天神から大牟田まで久々に西鉄電車に乗ってみました。最新の3000形は何となく南海電車っぽいカラーリングだなあ、とか、いつの間にか特急が大善寺や花畑に停まるようになっていたりとか、目新しい発見がいくつかありました。確かに天神大牟田線の場合、ライバルはJRなわけですが、そのJRもいつの間にか快速の停車駅が増えてしまい、さらに久留米以南が殆ど各駅停車になってしまって、「速達性」と言う事に関してはあまり力が入っていないような感じです。西鉄もそれに引きずられたのでしょうか?

 特急は相変わらず8000形が運用されていますが、標準軌間ということを考えると走りっぷりもやや物足りない感じです。車内の自動放送のチャイムが渋谷の東急東横店と同じものでした。

 大牟田からJRに乗り換えて、熊本に着いたのはそろそろ陽が傾き始める頃でした。熊本と言えば球磨焼酎に馬刺しというわけで、それがお目当てだったのは確かですが、このくらいの規模の街では最近流行の「昭和の街並み」とかがまだまだ普通に残っていますから、模型いじりのヒントとしてご紹介できるような写真も撮ろうということでした。

Ekimae

 ここはJR熊本駅前ですが、背景の建物が思い切り昭和3,40年代の雰囲気です。トミーテックの「街並みコレクション」最新版の「駅前歓楽街」にあったようなものばかりですね。市電の軌道が石畳なのも雰囲気を盛り上げます。特別出演?の5Eのバスもいい味を出しています。

 そう、この時代の表面がコンクリートのむき出しになっている建物は、少し立つと汚れて黒っぽくなっていましたね。結果として街全体が黒っぽい感じになっていたかと思います。

 他に市街中心部にある鶴屋百貨店なども、昭和40年頃のデパートの雰囲気を良く残していて、懐かしく思えます。子供の頃は、デパートは「特別にお出かけする」ところでしたし、鉄道模型だって今のように出たばかりのものがディスカウント店で叩き売られるなど考えられず、デパートに行かなければ拝めないものでした。普段は見られないものがあったりして、デパートは子供にとって遊園地以上に楽しい場所でした。地方には、そんな時代の香りを今もほのかに残したデパートがあったりします。

 街の中心のオフィス街の建物は、もう少し時代が下がって、昭和50年代頃のものと思われるビルが中心ですが、この頃の建物になると外側が汚れにくいようなタイル仕上げになっていたりして、黒ずんだ汚れ方をするものが殆どなくなって来ます。

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 街全体が明るい感じで、ちょうどやって来た超低床電車も風景に溶け込んでいます。ただ、このパトカーを模したラッピングはちょっと無理がありますね。

 熊本の電車ネタとしてはもうひとつ、近々大変貌が予想される熊本電鉄も見逃せません。現在は東急5000系最後の生き残りに注目が集まっています。

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Kita2   

 現在はこのようにオリジナルカラーに戻されています。昭和20年代後半から昭和30年代にかけて登場した初期の高性能車は足回りだけでなく、車体にもさまざまな試みが盛り込まれて個性的なスタイルのものが多かったのですが、こうしたものは塗色を変えるとイメージも全く変わってしまいます。やはりこの電車にはこのグリーンが一番似合うように思います。

 ここでは、もしかしたら東京で実現していたかもしれない、「幻の顔合わせ」を見ることが出来ます。

Kita_3

 アオガエルの隣にいるのは都営三田線の6000形ですが、都営三田線は当初三田から先は桐ヶ谷を経て目蒲線へ、高島平(志村)から先は大和町(現在の和光市)まで延伸して東武東上線へ乗り入れる計画でした。目蒲線への乗り入れは早々に立ち消えになりましたが、その後復活して現在のような形になりました。東上線への話はその後しばらくは残っていた様ですが、昭和51年に増備された最後の2編成で東武仕様の上下で音の異なるタイフォンが廃止されています。

 もし目蒲線への乗り入れが当初の予定通り進んでいたならば、田園調布や多摩川園でこの顔合わせは実現していたかもしれません。

 いかにも地方の私鉄ならではのことですが、計画のようにLRT化された暁には、これら「昭和の残党」たちも一掃されてしまうでしょう。

 アオガエルの車内にはこんな張り紙がありました。

5012harigami

 もはや地方の私鉄でも、冷房が必須のものになっているというあたりに時代の流れを感じました。

 

 

 

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2007年11月24日 (土)

「JR20周年」を感じながら

 運良く出ていた琴電の旧型車を堪能した後は、一路福岡へと向かいます。仕入先に顔を出しておきたかったのと、この辺まで来るとやはり九州まで足を伸ばして焼酎でも飲みに行きたいな(←これが主目的だったりして・・・)、というわけで、JR高松駅にやってきました。宇高連絡船があった頃の面影はすっかり消えて、駅も全く新しくなっています。

8000

Marine

 駅に出入する列車もすっかり様変わりしました。国鉄の分割民営化直前に開通した瀬戸大橋線の「マリンライナー」さえももう2代目ということで、20年の時の流れを感じました。 宇高連絡船があった頃にここへ来た時には、DF50の牽引する客車列車もあって、ここで珍しいものに乗りました。往年の特急列車に使用されたスハ44系のスハフ43です。車内は回転式の2人がけのシートで、これが「こだま」以前の特急列車なんだ、と感激したものです。DF50の方は500番台で、紀勢線で出会った0番台とは異なって、あの独特の「ポンポンポンポン」と言う音がしなかったのがちょっと残念でした。

 ここからは「マリンライナー」で岡山へ向かいます。新しくなってからは初めてなので、グリーン車に乗ってみました。東海道線のE231系あたりとそんなに変わりませんが、シートはこちらの方が上等な感じでした。

 岡山からは一路山陽本線を下って、下関へと向かいます。

1153000

Shimonoseki

 岡山からは、途中で列車番号が変わるものの、下関まで直通する列車が何本か設定されています。岡山~下関間341.3キロ、この列車は岡山を14:14に発車して、下関には20:50に到着します。サボにあるように広島地区の区間は快速になりますが、特に先行する列車に追いついて下関にはもっと早く着けるというわけではありません。途中まとまった停車時間があるのは、列車番号が変わる徳山駅の11分くらいですから、岡山で駅弁や缶ビールなどをごっそり買い込んでおきました。何しろ6時間36分の道中ですから。この列車を途中で追い越して福山まで先着する117系の快速「サンライナー」がワンマンになっていたのにはちょっとびっくり。

 快速区間に入ると間もなく、有名なセノハチに差し掛かります。上り貨物に着く補機は、今はオレンジ色のEF67、かつてEF59がゴロゴロしていた瀬野機関区は跡形もありません。やがて関門地区に配備されたEH500が通し運転するようになれば、EF67もお役ご免になってしまうのでしょうか。

Setouchi

 岩国を過ぎると陽はすっかり西に傾き、瀬戸内海が淡い色に包まれていました。

 すっかり夜の帳が下りた頃、列車は下関に到着しますが、その昔、ステンレス車体が独特のEF30がたくさんいた幡生の操車場には、何とEH500がごろごろ。北海道へ向かっているんだか、九州へ向かっているんだか、一瞬わけがわからなくなるような光景でした。

 でも、門司駅で見たEH500の重連単機の入れ換えは迫力でした。これが重連で列車を牽引したらすごいだろうなと思いながら眺めていました。

 かつての大動脈山陽本線も、分割民営化から20年を経て、着実にその姿を変えているようでした。

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2007年11月23日 (金)

「セピアの響」

 徳島から高徳線で高松へと進みました。全体的に私鉄並みの駅間だし、非電化の単線の割に列車の本数は多いのでとにかく時間がかかります。電化されているメインラインの予讃線にしても、普通列車に関しては同じ事が言えるのですが、それが四国の鉄道だ、と考えておくのが一番無難なのかもしれません。

 高松と言えばやはり琴電ですが、一度倒産した後、サービスの向上に力を入れるようになって、ついに全線の完全冷房化を達成しています。しかし、その冷房化にあたって投入された車両は京浜急行や名古屋市営地下鉄を中心にした中古車ばかりなので、1時代前の懐かしい顔ぶれに出会うことが出来ます。

1200

 これは近年大量に投入された京急700形ですが、パンタのない車両はトレーラー化されています。CPもロータリーコンプから一般的なC1000に変わっていますが、どこから調達したんでしょうね?18m級の4ドア車というちょっと変わったカテゴリーの車両ですが、ラッシュ時には威力を発揮しそうです。長尾線用の下半分がグリーンに塗装されたものも出来ましたが、700形が底をついた後の増備は再び1000形にもどっています。但しこちらは新製冷房車のグループと言う事で、琴電では1300形と形式を分けています。

 この日は特にイベントとかも予定されていなかったのですが、瓦町の駅に入ると向こうから良い電車が走ってくるではありませんか。この日は65+120の組み合わせで旧型車が長尾線の運用に入っていました。

65

 65号は大正初期の木造車を戦後仏生山工場で鋼体化したものですから、形態的な面白さはあまり無いのですが、後ろの120号は大正15年の製造と言う事で、電車が木造から半鋼製へと移っていった時代の車両の特徴を良く残しています。65号は最近廃車になりましたが、120号は産業遺産として保存する事になりましたので、また乗車する機会があるかもしれません。

 本州へ戻るまで時間があったので、長尾まで一往復しました。

122

 今ではすっかり聞くことなくなった吊り掛けの響、コトコトコトというCPの音、古い電車の魅力を堪能しました。帰りに高松築港駅で見つけたDVD「セピアの響」は、鉄道会社オフィシャルとしては珍しく旧型電車がテーマになっていますが、オフィシャルなだけにそんな魅力を余さず取り込んだものになっていました。

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2007年11月18日 (日)

商都大阪

 豊橋の後は大阪へ行きました。大阪と言われて第一にイメージする風景は何ですか?大阪城にUSJ、道頓堀などいろいろあると思いますが、管理人はやはりこのシーンですね。

Umeda

 ここは地下鉄御堂筋線の梅田駅です。 管理人は東京から大阪へ行く場合、東海道本線に乗って行くことが多いので、JR大阪駅に接する梅田駅は大阪の町に最初に接する場所でもあるのです。

 戦前に開通したここから心斎橋までの各駅は、同時期に建設された銀座線の狭苦しい駅とは全く異なる大きなアーチ型の天井でが印象的です。入線を知らせるにぎやかなメロディの中、警笛を鳴らしながら進入してくるシーンも、東京の地下鉄とは明らかに違う雰囲気で、次々と到着する電車、錯綜する人の流れは、商都・大阪の活気を感じさせてくれるところでもあります。

 JR大阪駅から地下鉄へ通じる通路には串かつのスタンドがいくつもあります。「衛生上ソースの二度漬けはお断りします」と書いてあるあれですね。お客さんと店の人の軽妙なやりとりもなかなか楽しく、ついつい暖簾をくぐってしまいます。これもまた「らしさ」を感じさせてくれる「大阪の味」だと思います。

 街にはそれぞれ個性があります。その街の個性を感じながら歩いてみるのもなかなか楽しいものです。

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2006年8月 1日 (火)

大雄山線に見る、ローカル私鉄のサービス改善

 小田原駅の片隅から出ている伊豆箱根鉄道大雄山線は、隣の南足柄市の中心関本(大雄山)までの9.6kmを結ぶ小さな路線です。

Daiyuu

 最近では線路脇は殆ど住宅になりましたが、少し前までは長閑な田園風景も点在して、かなりローカル色の強い路線でした。かつては車両も旧型国電17m車の払い下げばかりでしたが、1980年代半ばより新車が投入されるようになり、サービスレベルが一気にに向上しました。その後、早朝・深夜以外の時間帯に12分の等間隔ダイヤを設定するなど、利用者サイドに立ったサービス改善がなされています。

 そして、来る8/16に久々のダイヤ改正が行われますが、今回は夜間時間帯の増発で12分間隔の時間帯が21時台まで拡大されるとともに、終電の繰り下げが行われます。

http://www.izuhakone.co.jp/topix/railway/daiyuzan_jikoku.htm

 他にも、既に途中の交換駅では、従来駅員のいる時間が20時までだったところを終日にするなど、サービスの向上が図られています。

 この路線は、東京・横浜の通勤圏としては最末端ですが、足柄平野の地方交通としての役割もあって、その両方の要望を満たすべく地道な取り組みが行われているのは評価できると思います。

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2006年7月25日 (火)

浅草散歩・・・

 毎週月・火曜日は店の定休日ですが、これを利用して問屋さんへ仕入れに行ったりします。一般的な商品はともかく、工作派の方ですと、様々なパーツなどのご要望も出てきますし、店として常時入手できるものなどを把握しておく必要があります。また、新製品の人気具合なども実際に問屋さんへ行く事である程度様子がわかります。ですから、商品の配送は運送会社に任せるにしても、実際に問屋さんを訪ねると言うのはとても大事な事です。営業の仕事をなさっている方ならば、先ずはお客様のところを訪ねるのが大事だということは良くご存知だと思いますが、仕入れも全く逆の立場ながら同じことが言えるのです。

 さて、模型の問屋さん、東京の場合浅草の隣の台東区・蔵前とその周辺に集中しています。この地区も以前は都営浅草線に蔵前駅があるだけで、あとは総武線の浅草橋駅から8分くらい歩いていくしかなかったのですが、ここ2,3年の間に大江戸線やTXの駅も近くに出来て、都内各方面への足回りも格段に良くなりました。

 そんなわけで、時々浅草も通るのですが、観光名所としておなじみの浅草の中から、「街コレ」などを使ったレイアウトにも活用できそうな風景を何点かご紹介しましょう。

Kaminarimon

 浅草のシンボルと言えばここ、雷門ですが、この右手、東武電車の浅草駅(松屋デパート)前の交差点に明治13年創業の「神谷バー」があります。お酒が好きな方でしたら「デンキブラン」を思い出されるかと思います。

Kamiya

 この建物は大正10年の建築だそうですが、今も浅草1丁目1番地のシンボルになっています。バーだけでなくレストランなどもあるのでみんなで楽しめると思います。

 詳しくは→ http://www.kamiya-bar.com/index2.html

 そうそう、「アコム」の看板は隣のビルの上にあるものですからご心配なく・・・。右に少し見えているのが東武電車の浅草駅と松屋デパートのビル。こちらも相当古い建物なのですが、外装がいじられてしまっていて風情がありません。

Hanayashiki

 さて、こちらは遊園地の「花やしき」。かつて東京の一大盛り場として栄えた浅草六区の直ぐ脇にあります。サーカス小屋でも持ってきたら似合いそうな立地ですが、時代離れしたローテクのアトラクションが狭い敷地に詰め込まれているのもなかなか味があります。

http://www.hanayashiki.net/index.html

 写真のジェットコースターは昭和28年に完成したもので「ローラーコースター」と呼ばれています。狭い敷地一杯に線路が敷かれているので、道路に飛び出しそうな感じですが、最近はその線路脇に民家の中を突き抜けるような演出も追加されています。ちなみに最高速度は42km/hだそうで、都電(路面電車)の最高速度と同じくらいですが、見た目都電よりは全然速く見えます。

 もっともこれがあのローラーコースターの上を走ったら怖いですが・・・。

Toden_1

 小さいレイアウトボードに無理やり線路を詰め込んだレイアウトにそっくりな感じの遊園地です。

 その「花やしき」、表通りに面しているわけでもなく、周りの道も映画が廃れてかつての賑わいもなくなったせいか、住宅街の路地とあまり変わらない風情なのですが、「花やしき」の塀みたいな形で建っている店の中にこんなのがあります。

Taishuu

 「大衆食堂」と言う標記がいいですね。内装もビニール張りのイスとテーブルがコンクリート床に並んでいて、メニューはご飯ものから麺類まで一通りあり、という昔ながらのスタイルです。店頭にあるアイスクリームストッカーが、暑いこの時期何気に気になります。子供の頃、アイスキャンディーとかを買い食いしながら遊びまわった夏休みを思い出します。

 食べ物の話が出たついでに、私が気に入っている浅草らしいものをご紹介しておきます。

Yakisoba

  ただのソース焼きそば、ということなかれ、ここの焼きそば屋さんは、シチュエーションがなかなか良いのです。これをいかにも戦前からと言う感じの地下街の通路にはみ出したテーブルで食べるわけです。

 味はシンプルなソースやきそば、ですが、隠し味として小エビが入っているんですよ。

 上野の方から地下鉄銀座線に乗って来て一番前の階段を上がって改札を出たところにある「福ちゃん」と言うお店です。ここは、私が会社に勤めていて営業マンをやっていた時に見つけたのですが、営業途中の間食いにはうってつけ、ということで結構気に入っていました。今でも浅草を通るとつい立ち寄ってしまいます。

Yakisoba2

 地下鉄銀座線の浅草駅と松屋デパートを結ぶ地下街の入口にあります。通路に面したところで美味しそうな匂いを撒きながらじゅうじゅうと焼いています。

 地下鉄銀座線の浅草駅は昭和2年12月にわが国で最初に地下鉄が開通した時に設置された駅で、改装されたとは言え、今も当時の面影を色濃く残しています。この地下街も、今の明るいショッピングモールとは異なり、薄暗い通路に店が並んでいて空調なども無いのですが、通路にまではみ出して置いてあるテーブルに座って通行人の目など気にせずに食べる焼きそばというのは、むしろ屋台のそれに近い感じがしないでもありません。

Chikagai

 その通路を反対側から見るとこんな感じです。立ち呑み屋にアダルトビデオと、並んでいるものにも素顔の下町の風情が感じられます。

 しかし、こんな渋い味わいのものがテーマパークの「作り物」としてでなく、今もリアルなものとして生きているのも東京の魅力の一つですね。渋い色合いなど、模型製作の参考になると思います。

 夏休みに東京観光をされる方も、浅草を巡るのであれば是非こうした街並みのディテールも観察して行っていただきたいなと思います。

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2006年7月24日 (月)

夏休み・・・

 いよいよ学校は夏休みになりましたが、今年はまだ梅雨真っ盛りと言う感じでぱっとしませんね。

 遠くへ旅行する計画を立てていらっしゃる方も多いと思いますが、この夏、東京へ観光でお越しになるのであれば、是非東京駅の赤レンガ駅舎を見ていただきたいと思います。

 9月からいよいよ改修工事が始まるので、この姿はこの夏休みで見納めになるのです。

T1_1

 大正3年に建てられたものですが、昭和20年の東京大空襲で焼け落ち、戦後復旧されたのですが、資材不足で南北の出入口の屋根が丸ドームではなく角型になり、中間の3階建てだった部分も2階建てで復旧されました。つまり、今のこの姿はあくまでも間に合わせ修理をした状態と言う事なのです。この状態で60年以上経過してしまったのです。

 今回、東京駅全体のリニューアルにあたっては、新幹線側の八重洲口は全面改築で南北に高層タワービルが建設され、今の大丸のビルがあるところは出入口をかねた歩行者空間と言う形になるそうです。そして、表側の丸の内駅舎は赤レンガがオリジナルのスタイルになって、表と裏で全く異なるテイストの駅になるようです。

T3

 こちらは北口。駅舎の前の軒が、南口が鉄骨に板張りなのに対して、こちらは近代的な形なのは、もともと南口が入口、北口が出口として使われていたことの名残なのでしょう。

 駅の周りのビルがすっかり建て替えられて、駅前の風景もすっかり印象が変わりましたが、この駅舎がオリジナルに復元されるとどんな風景になるのでしょうか。楽しみですね。

 今は、「東京観光」というとすぐに「ディズニーリゾート」ということらしいですが、あそこは千葉県です。せっかくの東京旅行、最新のものと古いものが混じった東京の街を是非歩いていただき、東京の街とその文化を感じていただきたいと思います。

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2006年7月 4日 (火)

はなたび北海道

 関東地方は蒸し蒸しした天気が続いていますが、表紙の方7月ということで、夏向きの絵に差し替えてみました。列車で旅行される方なら良くご存知の、大沼国定公園の風景です。特に青函連絡船の時代は、函館から列車に乗り換えて最初に見る雄大な風景、初めて北海道へ渡ってこの風景を見たときに感動された方も多いことでしょう。

 梅雨のない北海道は今頃が一番過ごしやすい時期のようです。それに合わせて今年は「はなたび北海道」と言うキャンペーンが展開されています。

http://www.hanatabi.net/top.html

 冬の長い北海道では、短い夏の期間、いろいろな植物が一斉に花をつけますが、列車に乗って線路の脇を眺めていても、やはり本州とは違って真夏の線路脇の草むらにもいろいろな花が咲いているのを見ることができます。

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 白っぽい小さな花が比較的多く見られますが、花の色と言うのも気候と関係するんでしょうね。小さなセクションレイアウトや、ディスプレイ用のミニジオラマなどをやる場合、結構ポイントになるところだと思います。

 観光ガイドなどを見ると、富良野のラベンダー、小清水の原生花園、サロベツ原野などが良く出ていますが、いかにも北海道らしい風景で良いのですが、模型で要領よく表現しようとすると結構難しいですね。

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  これは宗谷本線の列車から眺めたサロベツ原野の風景です。稚内周辺ですと、抜海~南稚内間の砂丘と利尻島を組み合わせた写真が良く出てきますが、このサロベツ原野の風景もスケールが大きくていかにも北海道らしい眺めで、結構気に入っている風景の一つです。

 名寄を14時半頃に出発する普通列車は途中音威子府で1時間強の停車ののち、稚内には19時ちょっと前に到着します。夏場ですとちょうどサロベツ原野に差し掛かるあたりで夕暮れを迎えますが、地平線の向こうにシルエットになって浮かぶ利尻富士の姿がとても印象的です。今頃の時期であれば抜海を出て南稚内までの間、砂丘から一瞬海に大接近するあたりもまだ明るいでしょう。茫漠とした風景をビールでも飲みながらぽか~んと眺めるのも良いものです。レンタカーではこうは行きませんね・・・。

Otoineppu

 これは音威子府駅。天北線がなくなって、不要な線路が撤去されたものの、相変わらずがらーんとした雰囲気は変わりません。この駅で停車している間に上下の特急「サロベツ」があるのですが、「スーパー宗谷」に比べるといかにも、と言う感じの列車ではあります。バリアフリーの「バ」の字もない恐ろしく低いホーム、ムダに広い駅の構内などなど、よく見ておくとあとでレイアウトなどをやる時に役立つと思いますが、Nゲージでやったとしてもかなり大きくなりそうですね。

 稚内と言うと大体観光コースとしては最北端宗谷岬、そして利尻・礼文あたりが思い浮かびますが、ぽかーんとした時間を過ごす旅ということならば浜頓別もいいと思います。稚内から旧天北線ルートを行くバスで2時間半、音威子府からは1時間半で到着します。バスターミナルから15分ほど歩くとクッチャロ湖という大きな湖のほとりへ出ます。湖畔はキャンプ場になっていますし、その直ぐ近くには宿泊も出来る町営の温泉施設もあります。 秋から冬にかけてはたくさんの白鳥がやってくるそうです。

http://www.town.hamatonbetsu.hokkaido.jp/kankou/onsen.htm

 今の時期、白鳥はいませんが、空気が澄んで清清しく、特に夕暮れの空がとてもきれいです。

Kuccharo

 他に市街地を挟んで反対側3kmくらいのところにはベニヤ原生花園があります。こちらも網走の小清水原生花園のように観光化されているわけではないので、原生花園本来の姿が楽しめると思います。

 有名な観光地も良いのですが、非日常的な時間を求める旅として、あまり観光客のいない静かな場所でゆっくり過ごすのも悪くないと思います。

 今は北海道旅行と言うと大体飛行機とレンタカーの組み合わせが主流のようですが、目的地までの間に広がる車窓にも本州では見られないものが多いだけに、列車やバスを乗り継いでいく旅にも捨てがたいものがあります。

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2006年5月31日 (水)

熊本電鉄

 熊本市から郊外へ伸びる熊本電鉄という路線があります。JR線との接続が熊本駅ではなく、一つ隣の上熊本という事もあって地味な路線です。しかも上熊本へ伸びている路線は支線という事になっていますから、余計そういう印象が強いですね。

 本線は熊本の中心商店街、「通町」に近い藤崎宮前から北熊本を経て御代志まで、支線が北熊本からJR上熊本までとなっています。

 ここではついに最後の2匹になった東急の名車「アオガエル」が最後の活躍を続けています。

Kaeru

 アオガエルは両運転台に改造されてこのように上熊本への折返し運転用として単行で走っています。現在はまたオリジナルの東急グリーンの塗装に戻されていて往時の雰囲気を楽しむことが出来ます。つり革の広告が「渋谷109」のままなのですが、ロゴがかなり前のものなのがご愛嬌。足回りは750V路線という事で、MG・CPが交換されていますが、基本的に1M車なので、単行運転するについては問題がありません。

 本線系統は都営三田線6000形が主力で、他に南海のズームカーが1本あります。

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 こちらもまた、車内のつり革広告が三田線沿線の「さくら銀行」!の案内だったりして、高校時代に三田線で通っていた管理人はとても感激してしまいました。非冷房のまま廃車になった6101・6111Fは西鉄の関連工場で冷房改造が施工され、小型分散クーラー、都営時代に2分割クーラーで改造された車両はワンマン化されただけでそのまま使用されています。路線の途中には併用軌道もあるのですが、建設に際して都電41番を廃止に追いやった都営6号線の車両が道路の上を走るというのも奇縁というのか、因果を感じるものがあります。

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 都営6号線(三田線)は当初北側で東武東上線と、南側で東急目蒲線との直通が計画されましたが、双方とも一度白紙になり、東京メトロ南北線の整備に合わせて東急線直通計画が復活し、現在の形になりました。でも、当初の計画通りに進んでいたら、田園調布あたりでカエルと6000形の並びは実現していたはずです。北熊本駅ではそんな「幻の並び」が実現しています。

 さて、かつては菊池まで伸びていた熊本電鉄ですが、ここへ来て、中途半端な場所で途切れている本線のターミナルを、路線を延伸して市電とつなぎ、中心地の通町、辛島町、そして熊本駅まで直通させてはどうか、というプランが浮上しています。末端部分も菊池までの復活はなさそうですが、再度もう少し奥まで復活させては、とのことです。

 熊本の市電は1435mmの標準ゲージですから、改軌をともないますし、LRTのスタイルであれば車両も新調しなければなりませんし、いろいろ問題はあるのですが、プランとしては非常に興味深いですね。富山のライトレール、あるいは郊外線直通の広島電鉄あたりのイメージになるのでしょうか。

 熊本の市電は公営の路面電車としてはかなり積極的な経営がなされていて、今回の訪問では車庫の移転に続いて上熊本駅前の電停が恐ろしく立派なものにリニューアルされていました。ここも熊本電鉄につないでしまうという手もあるかもしれませんね。

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 東京以上に「クルマが全て!」と思われている地方の中堅都市でこのような斬新な取り組みがなされているのは大変興味深いものがあります。

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2006年5月29日 (月)

JR九州は・・・

 さて、九州新幹線暫定開業で一服ついた感じのJR九州ですが、細かな動きは結構あるようで、特に博多口の鹿児島本線の快速電車はいつの間にかずいぶん停車駅が増えています。

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 この電車も荒尾ではなく大牟田行きになっていますが、代わりに熊本の815系などが銀水から鳥栖まで北上してきています。また、鳥栖―八代間のワンマン列車で料金箱による運賃の収受がなくなっていました。

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 こちらは国鉄の分割民営化直前に支線区に投入されたキハ31ですが、よく見るとスカートが追加されています。0系の転換シートを2+1で配列してありましたが、宮崎や大分で見かけるものでは車内の4/5くらいがロングシートになっているものもあります。

 この車両、観光向け風の車内の割に便所が無いという欠陥があります。ここ八代から人吉までは1時間10分かかります。球磨川の流れを眺めながらビールなり焼酎なりで軽く一杯、というのが人情ですが・・・。

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 九州新幹線の開通で鹿児島本線の八代-川内間は第3セクターの肥薩オレンジ鉄道(八代駅の場合、肥薩線と紛らわしい名称ですね)になったわけですが、鹿児島から北九州、そして本州方面を目指す貨物列車は健在です。この区間は単線ですから、特急がなくなった分ダイヤは組みやすくなったかもしれません。ただ、旅客列車はDC化されたので、架線は貨物専用ということになってしまいました。

 九州新幹線の開通に合わせて中・南九州の観光列車が整備されたわけですが、これは人吉と阿蘇・別府を関連付けようという九州横断特急。「ワンマン」表示がありますが、こちらでいう「グリーンアテンダント」のような客室乗務員が乗っていますので、特急券はばっちり徴収されます。

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 ここ人吉からは、有名な「大畑(おこば)のループ線」(ループ線の途中にスイッチバックがあるわが国で唯一の駅)や矢岳トンネルを抜けて真幸へ下る区間の「日本三大車窓」などを楽しむ観光列車「いさぶろう」「しんぺい」があります。これもキハ140を改造した専用の車両がありますね。

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 人吉駅と吉松駅には今もなお駅弁の立ち売りがありますが、「あゆ寿司」のある人吉に比べて吉松はネタがない分やや弱いのですが、そこはやはり、かつて鉄道の街として栄えただけにお弁当屋さんの意地もあるのでしょう。吉都線に乗るときにお馴染み「幕の内弁当」を買ったのですが、内容がリニューアルされて美味しくなっていましたね。お弁当屋さんの箱の中に入っている数も以前よりだいぶ多くなって、こんなところまで九州新幹線の効果があるようでした。観光バスでやってきて、「いさぶろう」に乗るツアーもあるようで、これまで2,3人しか乗っていなかった区間も観光路線としての売り込みに成功したようです。

 吉都線を経由して都城へ抜けると、日豊本線の普通列車は、やはり新幹線開通に合わせて投入された最新の817系が主力になっています。しかし、まだごく少数ながら475系も残っています。特急列車は、大分以南ではまだまだ485系が主力ですし。日豊線はどうしても後回しになってしまうみたいですね。475

 蒸気機関車の時代、撮影の名所だった大分・宮崎の県境、「宗太郎越え」は、今では普通列車は僅か3往復ですが、すべてこの急行形で運転されているようです。

 次は、九州新幹線が博多まで延びるときに大きな変化があるのでしょうけれど、新幹線の工事も活発化して、熊本駅の裏側にあった立派なレンガの車庫なども取り壊されてしまいました。新幹線開業に向けて目が離せないJR九州です。

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JR四国

 JR四国というのは、JR各社の中でも地味な存在で、あまり話題になることも無いのですが、瀬戸大橋で本州とつながったとは言え、やはり一つの島ですから、やはり他のJRと異なる部分もあるものです。

 まず最初に感じるのは駅や構内が私鉄のように狭苦しい事です。

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 ここは徳島駅ですが、県庁所在地の駅ですらこんな感じです。

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 ここはホームの反対側の車庫です。後ろの方に新登場の1500形が見えていますが、今回は残念ながら乗れませんでした。四国のキハ40系、冷房改造にあたっては、58系などと同じ空調電源を使った方式になっています。クーラーキセ自体はJR東海のものに良く似ていますね。他に車外スピーカー、冷房化に伴うベンチレーターの変化なども見所ですね。

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 これが電源付近のアップです。暖房関係が付いていた場所ですね。同じキハ40でも、時代とともに少しずつ進化していくという事なのでしょう。また会社ごとに改造内容が微妙に異なるのも車両モデラーにとっては気になる部分です。

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 面白いのは四国の気動車、機関車よろしく、区名を表示した札が差してあるんですね。これは他の地区には全くありません。

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 こちらは途中の駅で見た線路の様子ですが、鉄道用地と一般用地の間の隙間が殆どありませんね。しかもこれは、四国一の幹線である予讃線(いつの間にか「予讃本線」とは言わなくなった)、というのはちょっと意外な感じでしょう。何だか模型のレイアウトのような感じです。8000系の「しおかぜ」も何か浮いた感じがします。

 同じJRでも地域によってずいぶん感じが違うものです。そんな特徴をうまくレイアウトに取り入れられたら面白いでしょうね。

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2006年5月27日 (土)

1/1スケールの鉄コレ!楽しい「ことでん」

 阪堺電車の次は、浜寺公園から南海電車で和歌山港へ、そこから南海フェリーで徳島へと渡りました。そこからJRに乗って高松へ行きました。徳島~高松間、たった65kmなのに何で2時間半もかかるの?という感じでしたが、それはともかく、今回は久しぶりに高松琴平電鉄へ行って最近入った京急700とかを見てこようというのが目的でした。

 ちょうど琴電で、今年度廃車予定の車両を日中に走らせるイベントをやっていたので、それもあわせて見てきました。今年度廃車になるのは元近鉄の22・23・24(志度線)と325・760(長尾線)の5両です。7月に廃車らしいのですが、いずれも非冷房ですから、陽気の良いいまのうちに乗ってください、という企画なんでしょう。このあと松山へ行くことになっていたので、志度線まで行く時間が出来ませんでしたが、長尾線の方は行った日には760が出ていました。

760

 戦後間もない頃に製造された、元は岡山県の玉野市営電気鉄道の車両ですが、この日コンビを組んでいた大正15年生まれの琴電オリジナル車、120号と比べればずいぶんスマートに見えますね。

 阪堺電車に続いて、久しぶりにこういう古い電車に乗りました。吊り掛けの音もさることながら、DH25コンプレッサーの発するコトコトコトコト・・・という音も今ではめったに聞けなくなりました。このあと、760号と組んだイベント電車に乗って長尾まで一往復して来ました。讃岐平野独特のおにぎりみたいな山を眺めながら、古い電車の乗り心地を愉しむことが出来ました。

5000120

 さてこちらは、その120号がイベント運転に入る前に元名古屋地下鉄の600形の増結車として連結運転しているシーンです。反対側にいるのが京王線の5000系というのも思い切りミスマッチな組み合わせですね。

 琴電は一度会社が潰れて今は再建の途上ですが、その中で中古車ながらも営業車全部を冷房化するという目標が掲げられて少しずつですが車両の入換えが行われています。旧型車は既に朝夕の増結用程度になっていますが、冷房車の方もまた今となっては懐かしい車両が揃っていて、見ていてなかなか楽しくなってきます。

1000

 これは一時期京急で一大勢力を誇った旧1000形ですね。連結面の妻が丸い初期のタイプです。

K700

 こちらは京急700。非冷房の頃は開く窓が少なくて蒸し暑いと、極めて評判の悪い電車でしたね。でも琴電で4ドアが必要なのかな?

N701

瓦町から分岐する長尾線、今は独立している志度線は18m車が使えないということで、近代化に当たっては車体の小さい名古屋の地下鉄を活用しています。よく見ると屋根の上に小田急ロマンスカーNSEのクーラーが付いていますよ!カラーリングは名古屋のキイロ1色よりこっちの方がキマっていますね。

 他にもまだいろいろな電車があるのですが、ホームのベンチで眺めているだけでも飽きません。しかも、1両もしくは2両単位のものばかりで、まさに模型ネタにぴったり。フリーランスのデザイン検討の参考にもなるかな、と思いました。

 「鉄コレ」という安くて便利な材料はあるわけですが、こうして改めてプロトタイプを眺めることで、車両は勿論、レイアウトやジオラマのイメージというものが出来て来るんだと思います。

 高松へ行く機会がありましたら是非乗ってみてください。結構面白い発見があるはずです。

 

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2006年5月26日 (金)

ほのぼの 阪堺電車

 静岡のホビーショウ、鉄道模型関係では車両新製品関係の他、特にカトーあたりではジオタウン関係のストラクチュア新製品に力が入っていて、単に車両を買い集めるだけではなく、レイアウトで走らせること(これはDCCとも関係してきますが)、あるいはミニジオラマの製作など、いろいろな切り口から家族で楽しめる趣味としての提案がなされているのが新鮮でした。家族で模型を買いに行った場合に、車両メインであれば、その間お父さんと息子君はいいとしても、奥さんは「早くしてよ」位の気持ちで待っているしかないわけですが、そこにちょっと気の利いたNゲージサイズのケーキ屋さんの建物でもあったらどうか?鉄からちょっと離れて単体で置物として並べておけるようなものがあれば、奥さんも目を輝かせること請け合い、というわけです。隣接ジャンルに女性向けのホビーとして「ドールハウス」というのもありますね。新作の試作品が何点かあって、廉価路線のトミーテック「街並みコレクション」とは一線を画す内容で展開していくということのようでした。ユーザーとしては建物の種類が増えてくれるのは大歓迎なわけですし、今後が大いに楽しみなところでもあります。

 静岡へ行った後、久しぶりに大阪へ行ってきました。東京と同じ大都会とはいえ、街の雰囲気は全く異なるものがあります。乗り物なんかも特に日常生活に密着した地下鉄やバス、路面電車というのはその土地の雰囲気がよく現れていて興味深いものがあります。

 大阪の路面電車は昭和40年代の前半には市電が全廃、後を追うように阪神の国道線も廃止されましたが、南海の軌道線だけは地下鉄とかぶることになった平野線以外が子会社化されたものの今も健在です。通天閣の下、恵比寿町から堺の浜寺駅前までの阪堺線とJR天王寺駅前から住吉公園までの上町線の2路線ですが、運転はこれに天王寺駅前~住吉~あびこ道(阪堺線)という都合3系統になっています。

 大阪の電車はJRもまだまだ103系がたくさんいますし、外観に変化の少ない阪急電車などもよく見ると昭和30年代の車両が結構あったりします。ここ阪堺電車もまた古い電車がたくさん残っていて、E231系があっという間に大増殖した関東とは根本的に考え方が違うんだな、と思わせてくれます。

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 この電車は阪堺電車でも最古参のもので、昭和2年から製作されたモ161形です。今も何台か残っていて、街の中をごく普通に走る姿を見ることが出来ます。この164号は昭和3年の製造とのことですが、半鋼製車としては初期のもので木造車のデザインから抜け切れていない天地寸法の小さい1段窓あたりに時代を感じさせます。

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東京などの路面電車よりも一回り大きく、中央に両開きドアを配した3ドアの(現在はワンマン運転なので一番右側のドアは埋め込まれていますが)堂々たる車体は大阪ならではのものです。今残っているところでは、これだけ大きいのは他に広島くらいでしょう。冷房車でもないのに19t近い重さがあります。

 直接制御が当たり前の路面電車ですが、この電車は間接非自動制御ということで、同時期の他のものと比べて立派なものになっています。

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 車内の作りもオリジナルの雰囲気を色濃く残していて、仕切り部分やつり革の金具、ドア部分の柱など、今では考えられない凝った作りになっています。

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 窓の日よけも鉄板プレス製にリニューアルされているものの、今もよろい戸です。あまり日が照っていないのに日よけが出ているのは下降式の窓が「全開」と「全閉」しかできないので、走っている時に車内に風が強く入り過ぎないように、という意味です。この電車にはクーラーは勿論、扇風機もありませんから、今の時期、外の風を入れながら走るのですが、そんな電車に乗ったのもずいぶん久しぶりのように思いました。

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 そして、車内の製造銘板には右書きで「昭和参年」とありました。昭和2年製の車両のものは同じく「昭和弐年」という標記で、これがまた実にいい味を出していました。

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 銘板の下の穴は恐らく、東京などでもあった車掌乗務時代の発車合図の鐘を鳴らす紐の通っていたところだと思いますが、それも私の知る限りでは、昭和50年代初頭のワンマン化直前の頃には昔の黒電話のような「ジリン・ジリン」という電気ベル(今でも阪神電車とかにあるやつ)になっていたと思います。

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 しかし、今も車内にはこんな掲示があるのです。路面電車の代名詞として「チンチン電車」という言葉があり、東京などでは車掌の発車合図から来ている(現実に東京ではワンマン化後もあえて自動でベルが鳴る仕掛けがついています)といわれていますが、大阪(西日本?)では、運転台の下にあるペダルを踏むと床下の鐘が「チン・チン」となるようになっているものが多くて、それが「チンチン電車」の語源だとも言われています。

 阪堺電車にはその鐘が今も健在で、電停を発車する時に横断歩道の歩行者に注意を促したりする時などに鳴らしています。今の電車の電子ホーンと同じような考え方ですね。下の写真のような場所を通る時に鳴らしたりするわけです。

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 路面電車特有のクロッシングをチンチンと鐘を鳴らしながらゴトゴト渡っていく光景は関東以北では見られなかったものだけに、やはり大阪ならではの独特の味わいがあります。

 さてついでに、他にどんな電車があるのか、ざっと見ておきましょう。スタイル的には次の2つですが、中身の違いでそれぞれ何形式かあります。

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 これは最新タイプの701形で、同タイプの601形は先ほどの旧型車からマスコンなど一部のパーツを流用した更新車、ただし足回りは新製台車でカルダン駆動化されています。

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 こちらは昭和30年代半ばに新製されたもので、大阪市電2600形あたりと似たデザインですが、側面の窓がバス窓でなく一段下降式になっているあたりに南海臭さが感じられます。間接自動制御、空気バネ台車を履いた「高級車」です。写真の351形は吊り掛け駆動ですが、同形態の501形はカルダン駆動になっています。もう40年以上前の電車ですが、先ほどの161形などを見た後ではずいぶん近代的な車両に見えてしまいます。

 大阪ではマイナーな路線ですが、電車だけでなく、沿線には通天閣に新世界、帝塚山、住吉大社など見所もいろいろとあります。車窓の風景もよき時代の大阪の面影を色濃く残していて、東京の下町とはまた違った味わいが魅力的です。終点の浜寺駅前近くの南海本線「浜寺公園駅」も明治時代の建築で一見の価値があります。これも今なお現役で使われています。

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 駅前の雰囲気と洋風の駅舎がミスマッチな感じですが、それが明治の昔から続いているということになるわけですね。街コレに時々含まれている、周囲からちょっと浮いてしまいそうな洋風建築の使い方のヒントになるかもしれません。

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 ほのぼのとした雰囲気の中に大阪ならではの味わいが感じられる阪堺電車でした。同じように見える街にも、それぞれ個性があるわけですし、そういったものを探してみることでいっそうリアルなレイアウトやジオラマが作れるようになると思います。

 ネットの製品情報とかだけでなく、たまにはネタ集めの散歩なんかしてみると模型作りもいっそう楽しくなると思います。

 

 

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2005年10月22日 (土)

【入荷案内】バスラマ92入荷しました!

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 バスラマ92号、入荷しました。定価1430円です。

 今回の事業者訪問は山形の山交バスです。他に新型セレガの特集などがあります。

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2005年10月18日 (火)

【ありがとうございます】30000アクセス達成!

 皆様、いつもお越しいただきましてありがとうございます。

 おかげさまで昨日30000アクセスを達成いたしました。

 お役に立っているかどうか分かりませんが、店のPRとあわせて、模型ホビーの世界で、最近ではあまり話題にならない「泥臭い」工作の基本的な話や、関連するプロトタイプの話など、ざっくばらんに書いていますが、もっと良い工作方法、面白いプロトタイプの話などがありましたら、是非コメント欄などにお寄せいただければと思います。

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